その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

さりげない気遣い

 自分は他人に気を遣うのが苦手だ。これは昔からで今も変わっていない。ここでこんな感じで自慢するようなことではない。周りの人たちには迷惑をかけてきていると思う。本当に申し訳ない。昨年6月の教育実習で怒られたように「周りが見えていない」のだろうと思う。そのくせ、他人からたくさん気を遣ってもらってきたからここまで生きてきている。感謝してもしきれない。

 

 気遣いの中で「さりげない」気遣いが自然にできる自分からすれば強者がいる。なぜそんなことができるのか本当に頭が下がる。つい先日昨年11月の教育実習でお世話になった指導教官から一通の手紙が送られてきた。とても驚いた。中身が何を書かれていても正直よかった。「手紙を忙しい中書いて送ってくださった」という事実が嬉しかったのだ。教育実習生のお礼状に返信をくださる指導教官なんてなかなかいない。指導教官は何も思わずに送ってくださったのだろうが、その「さりげない気遣い」がとてつもなく嬉しかった。

 

 もちろん内容も嬉しいことが書かれてあった。背中を押してもらえているような感覚になった。考えてみると、指導教官は教育実習の頃からとても優しいという印象があった。その優しさの中にはさりげない気遣いが隠れていたのだと今になって思う。きっと指導教官は何も意識せずにやってのけていたことなのだろう。本当に心の底から尊敬する。学習指導案を作成すること一つを取ってみてもそうだ。勤務時間を超えてまで指導をしてくださったが、自分はそのようなことをしてもらった経験がなかったため、「そんなことまでしてくれるのか!?」と驚いていたが、おそらく指導教官は「当たり前」という認識で付き合ってくれていた。その前日なんて「もし遅くなったら家まで送ってあげるから心配ない」とまで言ってくれていた。他人のことを考えるということを自然にできることは素晴らしいことだと改めて思った。

 

 大人になってさりげない気遣いができると信頼もされて、人も気づけばついてきてくれてるのかと指導教官を見ていて思った。指導教官も20代の頃はどんな人だったのか分からないが、経験を積んでたくさんの人との出会いがあって今の地位があるのだろうと思うのである。仕事は大変でやることは山積みだが、常に周りには先生方や子どもたちがいた。慕われて愛されている理由は、指導教官の思いやりだとかそれこそさりげない気遣いができているからなのだろう。そんな指導教官の元で学ばせていただいた2週間の教育実習は一生の財産で、なんて自分は幸せ者なのだろうと改めて思った。さりげない気遣いができる大人を目指していく。