その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

親孝行って何だろう

 2022年を迎え、自分は今年23歳になる。学生という立場を初めて脱却する。つまり、社会人になるということである。また一人暮らしをすることが決まっているため、家賃、光熱費、食費など生活する上で必要な費用を自分で出すようになる。だいたいどのくらい給料がいただけるのかということを考えると、生活できていけるのかとても不安である。その中で親孝行をしていかなければいけないと考えている。

 

 しかし、何が親孝行なのか分からない。親は、「元気で幸せだと思う人生を送ってくれていたらいい」と言ってくれている。「親のことは考えなくてもいい」なんて言われても、そうはいかないだろうと自分は思っている。親孝行って何だろう。お金で解決できるような話ではない気がしている。親を連れて外食をしても、高いブランドバッグを買っても親孝行は終わらないと思う。

 

 毎日笑って生きていたいというのは常に思っている。子どもの暗い顔を見て喜ぶわけがない。だから、楽しそうにはしていないととは思うのだ。離れて暮らしていても、たまには旅行へ行きたい。お盆と正月は実家で過ごしたい。それが親孝行になるかは分からないが、親が亡くなる前にたくさん話をして、たくさん同じ時間を過ごすことが親孝行になると現時点で自分は考えている。自分にはそれくらいのことしかできない。

 

 親孝行みたいな大人が意識するようなことを自分は小学生の頃から考えていた。それは家族が好きで、いつも家族のことを考えているような子どもだったからであって、偉いという話ではない。「どうすれば親に喜んでもらえるのだろう」と考えていた。当時は、「模範になるような子ども」になることで親は喜んでくれるのだろうと思っていた。だから、勉強も運動も習い事も手を抜かなかった。結果が出ない時も親は慰めてくれた。一生懸命やっていることを評価してくれていた。しかし、自分は中学生になると考え方が変わり、自分がやりたいことだけを選択するようになってしまった。母は特に頭を抱えているような状態ではあったが、結局は応援してくれるようになった。応援してくれるようになった理由を時間が経ってから聞いてみると、言ったとしても聞かないという半分諦めがあったが、楽しそうな顔が見れるからいいとも言ってくれていた。親って寛容だと思った。これだけで親孝行なんて話はよく聞くが、本当かもしれないと思った瞬間だった。

 

 親孝行をさせてもらえず、親を亡くしてしまう子どもだっている。そう思うと、早く親孝行をしないとと焦る気持ちも正直ある。親が元気なうちにやりたいことはたくさんある。アメフト観戦も引き続きやっていきたいし、ゴルフもやりたい。実現するまで絶対に親には元気でいてもらわないとと思っている。