その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

新たな決意

 実は新年早々自分にとって大きな決断をしていた。端的に言うと、学生時代からの恩師のことである。昨年6月の教育実習での指導教官でもあった。その教育実習から考えることは増えた。本当にたくさん考えて何もかも分からなくなって正解が見えなくなった。そこから試験を受けて不合格。そして、11月にまた教育実習があり来年度からの就職先が決まった。この半年間は自分にとって大きな意味を持つ時間だったし、いいきっかけにもなったのだ。そうすると、恩師とのこれからの関係性に疑問を持つようになった。本来恩師とは密な関係でなくてはならないのだと思い込んできた。悪い癖で「箱に入れて管理してしまう」ということが、無意識に出てしまっていた。そこで考えた。「恩師との関係性も一つのケースしかないと思う必要ない」という結論に至った。これまでは3ヶ月に1回ほど連絡を取っていたが、これからはあまり連絡を取らなくなるだろうと思っている。わざわざそう決めたわけではないが、そんな未来が見える。

 

 はっきり言って、昨年恩師との距離感が分からなくなった。どう接するのが適しているのかが分からなくなった。恩師も自分に何を求めているのかが分からなかった。何を思って教育実習で指導してくれていたのかが分からなかった。それは今も分かっていない。時間が経てから聞いてみたいと思っている。実際、教育実習での恩師は自分が知っている恩師ではなかった。母校へ訪問した時や事前の打ち合わせで話した時とは全く違っていた。「恩師に何があったのか」と思ってしまうほどだった。中学3年生の時、自分が憧れ尊敬している恩師はそこにはいなかった。だからと言って、恩が消えることもない。そこは認識を間違ってはいけない。恩は忘れてはいけないし、中学3年生の頃から憧れて尊敬をしていたという事実は変わらない。自分の成長過程でいい影響を受けたことは変わらないわけだから、それは事実として残しておいて自分はまた新たなステップに進みたいと思いこの決断をした。

 

 簡潔に言えば、教員を目指すきっかけをくれた感謝は忘れないため恩師には変わらないが、大学4年間の学びにより恩師と違う考え方や価値観が出てきたため近すぎる関係性は辞めようという話である。恩師が全てだと思っていたし、恩師をできるかぎりコピーするよう近づけるようと考えていたがどうやらそういう考え方は違っていたようだ。と、自分で気づくことができた。そう考えるだけで肩の荷が降りた気がした。高校を卒業してから教育研究者としてゼミ教授を尊敬するようになったし、教育実習で出会った指導教官の考え方に感銘を受けたしと自分の世界も広がっていった。そうすると、恩師と考え方が違うところがあるとはっきりと言えるようになっていた。大学で少しは勉強できていたのかもと少しだけ自信が持てた。だから、自分がもう少し勉強をして恩師と教育についてじっくり語る日が来ればいいなと夢を描いている。