その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

東京パラリンピック2020

 パラリンピックもオリンピック同様、4年に1度行われるスポーツの世界大会である。これまでオリンピックが終わればパラリンピックが始まるため、パラリンピックも楽しみにして見ていた。もちろん今年も見ていた。昨日閉会式が行われ、大会が締めくくられた。しかし、今年のパラリンピックは自分にとって今までの大会と違う気持ちで見ていた。何を隠そう、怪我をしている状態で見ていたからである。

 

 自分が大怪我をするまでは、ただ単に「すごすぎる」「自分なんてちっぽけだ」と思っていたが、今はパラリンピックに出場されている選手のことを身をもって尊敬する。自分の場合、今は右脚が言うことを聞かない。術後ギプス固定12日目であるため、地面に脚をつけることも許されない。松葉杖がないと移動が不可能であるし、動きたい衝動にも駆られる。でも、自分は治る怪我だから希望を持ってリハビリにも励める。ずっとこの体と付き合っていかなければいけないとなれば覚悟とその中でも前向きに生きていくメンタルの強さが必要だとなると、またそれは話が別である。自分のマイナスな気持ちなんて口にしてはいけないほどに小さいものだと思った。視覚障害脳性麻痺、切断…本当に様々な障害がある選手がパラリンピックに出場していた。生まれた時から腕や脚がなかったり、突然目が見えなくなったりと障害と付き合っている時間やタイミングも違う。オリンピックが閉会された時にも思ったが、本当にスポーツを通じて繋がれ、感動を与えてくれた大きな感謝の念を抱いた。

 

 教員を目指すようになって、特別支援教育のことを勉強していくようになるまでは「障害のある方はかわいそうだ」と思っていた。でも、そんな同情はして欲しくないだろうと思うようになった。自分も同情は嫌いだ。どうしようもないことを共に嘆いてもらっても何のプラスにもならない。受験に失敗してかわいそうにと言われて嬉しい人はまあいないだろう。そんな感じで障害のある方も同情されると逆に辛いものがあるのだと思うようになった。あまり気を遣いすぎるのもよくない。「~してあげる」というのも間違っているのである。だから、オリンピックを見るテンションでパラリンピックを自分は見ていた。同じように感動して同じように勇気づけられた。

 

 今年のパラリンピックは違った見方になったが、改めてスポーツは人の心を動かすものがあると感じることができた。どんな状況であれ、世界に挑戦できるチャンスがあるということがそもそも素晴らしいし、そうであるべきだと思った。パラリンピックも日本はたくさんのメダルを獲得し、大盛況に終わった。どれだけ努力をしたのか、どんな思いがあるのかオリンピック同様考えながら見ていた。全ての姿が眩しかった。3年後のパリ大会もワクワクしながら見たいと思う。