その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

2023年5月を振り返って

 

 GWをそれぞれで過ごし、明けてからはすぐに個人懇談が始まった。子どもたちも学校生活に慣れてきた様子である。個人懇談は、1つの家庭を除いて無事終了した。入学式で、一度保護者の方の顔を拝見していたため、昨年のような妙な緊張感はなかった。その間も連絡帳でのやり取りをさせていただいていたため、どのような方々かも何となく見当はついていた。予想通り、しっかりと子どもと向き合い、一緒に考えてくださる方が多かった。それだけで本当にありがたいことである。「こういう配慮をしていただけませんか?」「こういったことをさせていただこうと思うのですが…」といった要望と提案についての話もスムーズに行うことができた。とりあえず一人ひとりの1年間の方向性が決まった気がする。

 

 その他に、他府県からの視察やオープンスクールがあり、バタバタと今月も過ぎていった。しかし、その中でも1年生は大活躍だった。他の職員からもたくさんのお褒めの言葉をいただけた。1年生は喜んでいた。そうして、役に立つことやクラスや学年、学校内だけに留まらず、活躍の場を広げてほしい。確かに頑張ろうとする、やろうとする姿勢が印象的な子どもが多い。やる気が見られる。そんな中でも、もちろん現在の学校生活に納得いっていない子どももいる。何となくその場にいるだけのように見える。「中学を卒業したら、学校に行くつもりなんてなかった」と言った子どもがいる。決して捻くれているのではない。障害受容ができていないことと家庭に甘えて育ってきていることが原因である。このままもう学校で何も学ばなくても生きていけると本気で思っているのだろうし、自立をしようと考えたことがないからだろうと思う。だから、厳しいことを言ってみた。「担任の先生に勧められたから入学を決めたなんて理由にならない。結局勧められて、入学すると決めたのは誰でもない。君なんだ。それを他人のせいにして自分は悪くないというような顔をして不満ばかり口にしていても何にもならないんだ。自分の人生だ。自分の人生、誰かにコントロールされることを拒みなさい。」といったことを伝えた。このようなことを真剣な顔で伝えたこともなかったため、子どもは「え?」という顔をしていた。こんなに責められた経験がもしかしたらないのかもしれない。そして、自分の意志が弱く部活動の入部すら自分で決められない。自己決定と自己選択がいかに大切かということを教育していくべきだと改めて考えさせられた。

 

 今月は生徒指導事案が発生してしまった。昨年の今頃もそうだった。1年は、通学ルートの無断変更と金銭のやり取りが発生していた。お互い中学からの友だちで保護者も知っているような仲で意識せずにやってしまったということだった。悪気がなく、とても反省しているということで問題はすぐに解決に向かっていった。しかし、2・3年間でも生徒指導事案が発生していた。一人の男子生徒のロッカーがボコボコにされていた。その被害生徒は怒りと悲しみで職員室の扉を勢いよく開け、怒鳴った後泣き崩れた。自分自身でも何が起こっているのか分からなくなったのだろう。一方、加害生徒はすぐに自供しなかった。職員の間では、その前に起こっていたちょっとしたことから、誰がやったのかは見当がついていた。その加害生徒を中心に話をしてきっかけを作ろうとするものの、事が進むまでは1日半ほどかかった。それからの対応はバタバタと激動の中終わっていった。加害生徒たちは5人ほどで、表現の仕方が間違っていたという話をされ、反省し保護者に申し渡しをした。1年はこの件に関わっていなかったし、そこまで攻撃的で乱暴な子どもはいないが、2年の大人しい子もこの件の加害者に加わっていたため、「物や人に乱暴をしても何も解決しない。相談してほしい」と学年団から呼びかけた。

 

 いろいろと5月も考えさせられることが多かった。嬉しいことや楽しいことばかりでは、あまり学びは得られない。マイナスなことは人生において必要不可欠なものだとつくづく思う。