その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

心を弄ぶ

 「立場をわきまえる」べき時がどうしてもある。言いたいことをどストレートに言えない状況がある。自分なら守るべきものがない場合は、誰が相手だろうと言いたいことを言ってきたたちであるためむず痒い気持ちになった。勘のいい方はこの時点でいつ頃のことなのか見当がつくであろう。もちろん昨年の6月の話だ。

 

 自分には守るべきものがあった。「単位」である。それだけを守るために何も反論はしなかった。もちろん反論したかったし、話も聞いて欲しかった。誤解が生まれている状況にモヤモヤしていた。話せば互いに明らかになってくることがあると確信していた。しかし、それは守るべきもののために何もアクションを起こせなかった。

 

 そんな中、自分はずっと心を弄ばれていた。立場をこちらがわきまえようとしているのにも関わらず、大人と子どもを行ったり来たりだとか先生と生徒を行ったり来たりと自分のポジション付けの意志がブレブレだった。これには本当に悩まされた。今日は大人として怒られていたのに、次の日会うと子どもとして怒られる。本当に理解不能である。「大人として」と言われたり、「代わりにやっといて」と言われたりいい気がするわけない。教師として扱って欲しいなんて言ってないのだ。一貫性を持って扱ってくれというただそれだけの願いである。

 

 もし守るべきものがない場合、「自分はどうしていただろうか」と考えてみた。やはり自分の意見をぶつけるだろうと思う。恩師だからといって言いたいことが言えないわけではない。今なんて恩師との関係性を考えた上で考えているため、より一層何も考えずに言えるだろう。扱いがブレブレであったこともあり、自分のメンタルもボロボロだった。もう手の施しようがない状況で3週間を乗り切った。「自分がずっと水を浴びせ続けられればいつか終わる」と思い、耐えた。とにかく謝り続けて耐えた。「謝って済む問題ではない」というような顔をされた時もあったが、自分は自分で「守るものがあるから致し方ない」と目を瞑っていた。

 

 心を弄んでいる自覚は全くなかったのだろう。だからこそ、自分は何を求められていたのか分からなかったし、実際今も分からない。被害者だけがこのように思っているだけで、加害者側は意外と無意識で発言をして行動していることが多い。「そんなこと言ったっけ?」とこちらからすれば「何をとぼけているんだ」と言いたくなるような言葉が返ってくる。もう終わったことだから自分は「理不尽」「反面教師」としてインプットするだけで、別に今から問い詰めたりはしない。どういうつもりだったのかは聞いてみようと思っている。きっと忘れているのだろうが。