その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

「ちゃんと見てるから!」と言ってくれる存在

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「ちゃんと見てるから!と言ってくれる存在」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 自分は誰かに見られていないと「頑張れない」「やる気が出ない」ということは決してありませんが、後ろを振り向けば誰もおらず1人になっているという状況が嫌いなのです。とにかく寂しがり屋で1人になることに恐怖を感じてしまいます。だから、「1人じゃない。ちゃんと見てるから」と言ってもらえることで嬉しくなるし、安心するわけです。

 

 中学受験をして、いざ私立中学校へ入学した瞬間に予想以上の環境で思っていたよりも自分の力が通用しないと分かりました。その瞬間、医者になりたいという夢を捨てて新たな道を探さないといけないと、切り替えなければいけないと決心しました。でも、やりたいことや追いかけたい夢がそう簡単には見つかりませんでした。その約2年間を以前ブログにも書いたと思いますが、自分の中で「腐っていた頃」と呼んでいます。もちろん中学受験をしたいと自分から言い出し、中学受験に対応している塾へ入塾させてもらえて中学校から授業料を払ってもらっていて、それなのにも関わらず勝手に勉強から卒業して部活動以外に何もしていなかった自分が全て悪いのです。自分勝手なことは良く分かっています。だから、誰からも見捨てられて当然だと思っていました。先程も書きましたが、やりたいことや追いかけたい夢を見つけていたのなら、親にもその旨を伝えて何に向かって頑張っているかを明確にできましたが、それがなかなか見つからなかったので、「見てて欲しい」と胸を張って言うことができませんでした。単純に自信をなくしていました。それでも親はちゃんと見てくれていました。本当にありがたい話です。そして、腐ったままの自分で中学3年生を迎え、恩師と出会い本当に自分のことを見てくれていると感じました。言葉だけではなく行動でも見てくれていることがひしひしと伝わってきました。「腐っている自分を見てくれている人が家族以外にいるのか」と少し不思議な気持ちにもなりつつ、何と言ってもありがたかったです。

 

 1人ではないと伝えてくれる存在というのは本当に大事にすべきだと思います。親も家族も「私たちがいないといけないのだろう」「かわいそうな人なのだろう」と思ってくれていたのかもしれません。本当に感謝しています。はっきり言って、親にも恩師にも見向きもされていなかったら、腐ったままで大人になっていたかもしれないのです。今、何とか大人になれたのもちゃんと見てくれている存在があったからだと思い、自分は本当に恵まれていると感じています。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「教科ではなく教科を通じて」を予定しております。ではまた次回。