その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

誰かの一言で夢を諦める

 「言葉の影響力というのはとても大きい」ということは日々感じているし、このブログにも書いた覚えがある。いい影響を与えてくれるのかはたまた悪い影響を受けてしまうのかは時と場合による。自分も幾度となく言葉に押しつぶされそうになったことがある。遠回しに「あなたは教師にならない方がいい」と言われ、かなりショックを受けた。自分はそんな言葉をかけられ本当に教職の道を諦め、一般企業に就職した人を知っているし、SNSでもたくさん見かけたことがある。その人たちはそれなりに幸せにやっているように見える。自分はそんな人たちのことを「この人たちが教師になっていればどんな人生を送っていたのだろう」と考えることがある。他人の人生だが、自分の人生に重ね合わせて考えてみるのである。その人たちがよく言っているのは、「所詮それまでの覚悟だったのだろうと思う」ということである。つまり、そこまでの情熱がないのにも関わらず「教師になりたい」と思っていたということだ。

 

 確かにその考え方は一理あると思う。その人たちが教師になりたいと思った理由が「給食が食べたい」「部活動を熱心にやりたい」ということであった。しかし、この理由を自分は否定したいのではない。教師になりたいという理由は何であれ、結局子どもたちのために一生懸命になれればいいと思っているからである。もちろん、向いている向いていないという話は除いてだ。一理あると思うのは、心が折れた瞬間に夢を諦めやすくなってしまう理由ではあると思ってしまうからなのである。しかし、何はともあれ誰かの一言で夢を諦めてしまうのはもったいない。自分はそう思う。結局、他人に人生を左右されてしまうことと同じである。

 

 だから、自分は誰に何を言われても夢を諦めようとはしなかった。ただ、たくさん考えた。社会や他人に一番は子どもに迷惑をかけることになるのなら、それは諦めなければいけないと思っていたからだ。しかし、大学生の夏から一から就職活動をするのは不可能に近いし、「どこでもいいから働くために」という気持ちで面接を受けに行くのは本当に失礼な話だと思ったし、何より「教師になりたい」という気持ちが消えなかった。やはり「教師になりたい」とずっと思っていたのだ。だから、自分は他人の一言で夢を諦めなかった。ここからは根性論になるのかもしれないが、諦めなかった自分には新たなチャンスと出会いがあった。そういうありがたい場合もある。傷ついたり凹んだりするようなことを言われたとしても、一度立ち止まって考えてみるべきであると思う。