その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

理不尽を学ぶ

 「社会に出れば理不尽なことだらけだ」という言葉はよく聞いたものだ。その経験を自分は大学4年生で経験することになる。プラスに考えればきっと社会に出る前にそういった経験ができてよかったということになるのだろう。しかし、自分は理不尽というのは毎日、頻繁に吹っ掛けられるものではないと思うのである。しかし、これが理不尽なのかもしれない。自分が未熟すぎて理解しきれていない。これを理不尽と呼ぶのかそれともモラハラ・いじめと呼ぶのかは分からない。

 

 「あなたが言っていることをせずに違うことをやっているのではないか」ということが頻繁にあった。昨日言っていたことが今日言っていることと違うなんてことは日常だった。簡単に言えば、「一貫性がない」ということである。それに振り回されるいわゆる部下はたまったものではないと思う。自分はそう感じていた。そんなんでついていけないようではいけないと言われるのなら、平気で自分は従わないし無視をする。しかし、大学の単位は誰も守ってくれない。自分で守るしかないのだ。その守るべきもののために自分は理不尽にも耐え続けた。

 

 「社会とは働くとはこうだ」というものを示していたのかもしれないが、自分は何も分からなかった。自分がこれから社会へ出ていく人間として備わっていないことが多かったかもしれないが、それにしても教師として大事なことはほとんど何も教えてもらえなかった。何のための実習なのか分からなかった。社会人研修のようなことが行われていたように思える。例えば、社会人として扱われていて社会人としてできていないことがあると、「もう社会人なのになぜできないのか」ということを言われていた。自分からすれば学生で分かるわけないし、そういったことも含めて指導してくれればいいのにと思っていた。そして、それを具体的に言ってくれればいいのにも関わらず抽象的に一方的に怒ってきて理不尽すぎることがずっと起こっていた。

 

 理不尽を学ぶという名目の3週間であるのならば、文句なしの充実した時間だったと思うのである。しかし、そういう名目の3週間を過ごすことが教育実習ではない。しかも、理不尽なことなんて自然に発生することであるとも思うのである。わざと「こうしてやろう」ということで行っていることであるのなら、残念ながらモラハラやいじめになってしまうと考えている。理不尽まみれの毎日で自分の心はすり減っていき、何もいいことがなかった、生徒と関わっている時以外は。大きな傷を心に負わせることになったことに当の本人は気づいていないと思う。理不尽とは思えないが、それ以上のことは学べた。しかし、自分が学びたかったのはそんなことではない。