その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

憧れの人に裏切られた気持ち

 たくさん批判をして意見をして対立構造になってとても悲しいことに変わりはない。これに関しては自分も被害者のような気持ちである。「勝手に憧れて目標にしたのは自分だろう」と言われれば当たり前なのだが、自分は相当ショックなのだ。全く何も知らない初対面の人間から理不尽な環境の元共に3週間を過ごすことを強制されたのなら、自分ももちろんいい気はしないが、割り切れていたと思うし3週間を無心で過ごせていたと思う。憧れている人を間近で見られる3週間はとても充実したものになるだろうと思っていたが、蓋を開けると何もそこには自分が思っているようなものがなかったのだ。

 

 一言で言うと、厳しいという次元を超えていた。本当に厳しかった。厳しい以上のものだった。1から10まで細かいところまで他の人がやっていないことまで自分はやっていた。毎日パンク状態で週1日の休みも睡眠で一瞬で消えた。自分が「社会人として」「人として」できていないことが多すぎて「教師として」として大事なことを教えるまで至らなかったと言われたが、それを言うのなら自分自身を見直して欲しいと自分も言いたいことは山ほどあった。しかし、以前ブログに書いた通り自分には守るべき単位を優先し、何も言い返さなかったし意見もしなかった。単位を優先する大学生活を送ってこなかったが、こればかりは優先した。なぜなら、本当に不可という評価を平気でつけられそうな雰囲気だったからである。

 

 中学3年生の夏。自分は中学校の先生を目指すと決めた。きっかけは憧れの人で恩師である。今は全く憧れている面はない。しかし、自分に与えてくれた夢は色褪せないし感謝もしている。だから、あの頃の思い出は大事に胸にしまっておきたいと思う。憧れの気持ちを抱き、教育学部に進学し大学生活を送り4月から社会人になる。久しぶりに教師としての恩師と再会すると、自分が知っている恩師ではなくなっていた。本当に残念だった。厳しく自分のことを思って言ってくれていることだと思っていたが、段々とそうは思えなくなってきて、恩師が何を考えているのかも分からなくなっていった。厳しく教育のことに関して指導してくれることはいい。むしろありがたく、その機会だと思っているため、それなら受け入れられる。しかし、実際そうでなかった。具体的なことを教えてはくれないし、言っていることが支離滅裂で矛盾だらけだった。そんなことをする先生だと思っていなかったため、本当にショックだったのだ。逆に「もっとやってくれるものだと思っていた」と言われたため、お互い様なのかもしれない。でも、それを本人に伝えられる立場とそうでない立場があり、伝えられる立場が自分自身ということを考えて発言して欲しいと何度思ったことか。弱い立場を利用してやりたい放題だったように自分の目には映った。

 

 裏切って裏切られたのかもしれない。それでも、自分は裏切られた気持ちが大きい。きっと恩師が指導教官の教育実習を経験したからこそ、ここまで引きずってしまっている。何度か教科担当をしてもらっていた先生が指導教官だったのなら、すぐに水に流していただろう。何を言われたって我慢していればいいと耐えるだけで何とも思わなかったとも断言できる。憧れの人から言われる言葉は特別である。もちろんいいことも悪いこともである。自分はそれをとても実感した。でも、自分は前に進みたいと思う。過去のことは過去のことで、自分は今でも学校に携わる仕事ができることが決まって嬉しいくきっかけをくれたことは感謝しているため、これからはこれからとして全力を尽くしていく。