その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

期待に応える

 「どんな人間になりたいか」っていうことももちろん考えるけど、悪い癖で「大事な人のために頑張りたい」と思ってしまう。もしかしたら、良いことだと言ってくれる人もいるかもしれない。実はこれ、自分で気づいたのではない。友だちに「もっと自分のこと大事にしてみたら?」とふと言われたことがあった。そんな気なしに生きてきた自分は初めその子が何を言っているのか分からなかった。自分は今まで本当に自由に好き勝手生きてきた人間だからである。

 

 気づけばそんな生き方をしていた自分は、自己満足ではなく大事な人の期待に応えられたかどうかを大事にすることから抜け出せなくなっていた。どんな時だって自分より大事な人のことが気になる。家族、友だち、恩師に恋人。自分より最優先に考える存在であろう。でももうこの生き方を気づいたらしていたということは、もう10年ほどはもうこの生き方なのである。この生き方を変える気もそんな気力もない。だからやはり今も大事な人の期待には応えたいと思う性分だ。

 

 近いところで言うと、教育実習で恩師の期待に応えることができなかった。実習開始直後に「高いレベルのものを求めている」と言ってくれたが、きっともう求めるのを途中で辞めたのだろうと思う。恩師と自分の間の何かがプツンと切れたような気がした。「あ、これもう期待されてないやん」って思った。悲しかったし悔しかった。当たり前のことが当たり前にできない自分のレベルに合わせてくれているのが分かった。階段を上れずにいる自分を「仕方ない」と何段も上からわざわざ下りてきてくれる感覚である。チャンスは与え続けてくれていたと思う。それもそれで虚しくなった。

 

 期待されることってとても嬉しい。それが分かっているから、期待に何としてでも応えたいと思う。大事な人の笑顔を見たい。素直な気持ちだ。期待されることでプレッシャーになる人もいるだろう。でも、「こいつならやれる」と思ってもらえないことには期待されない。それも知っているから、自分は大事な人に期待されることは全力でやりたいのである。

 

 期待されるには「信用」が不可欠である。自分で言うのも何だが、恩師から多少信用されていた部分があったのだと思う。だから、ガッカリしたとも言われたし残念がらせてしまったわけである。信用という名の貯金をしてきたのに、たぶん今はもう借金まみれだ。この信用を取り戻すには相当な努力が必要なことは分かっている。

 

 中高の部活でスランプに陥ったことがある。打てないのに4番で打たせてもらっている重圧。他のメンバーの顔が見れなかった。期待されていることは分かっている。しかし、自分の実力が追いつかない。本当に辛い状況であった。その経験もあるからこそ、大事な人に抱いてもらった信用を取り戻す大変さを知っている。とにかく焦る。「早く何とかしないと」という気持ちで頭がいっぱいになる。でも、焦ったって何にもならないことも分かっている。だから、とにかくよく考えてみる。どうすればまた恩師に信用してもらえるようになるかということを。

 

 また信用を取り戻すことができれば、スタートラインに立てる気がしているから、ここまで恩師との関係にこだわる。どうでも良い人なら言われたことを右から左へ受け流して、無視してりゃ良い話だ。でも、恩師との出会いから今の自分がいることを決して忘れてはならないと思っているからこそ、期待に応えたいのである。怒られてぶつかってたくさん言葉を交わしたけど、この先も関係は変えたくないと強く思う。