その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

涙が出なかった理由

 自分は悩むということを基本的にしない。悩んでしまえばとことん落ちてしまう性格だと気づいた頃から、考えることはしてきたが悩むのは辞めた。たくさん悩んでしまう人であれば自分が置かれた状況を経験してもらうとするならば、3日目くらいから泣き続けていたと思う。自分は全く涙が出なかった。おそらく涙が出る次元を超えてしまっていたと思うのである。そして、自分は悩んではいなかった。「何を伝えたいのか」「何を求めているのか」を必死に考え続けた3週間だったからだ。正直、自分のマインド的に悩んでいる暇もなかったのだろう。

 

 例えば、「これから先生になるのはとても不安だ。一度一般企業に就職してみてからでも遅くないのではないか」と言われたことがあった。確かにこんなことを言われて辛かった。自分なりに7年間追い続けてきた夢を否定された気分になった。しかし、涙は出なかった。もちろん悩みもしなかった。悩んでいる暇などなかった。先生になりたいという意志は変わらず変えなかったし、何より一般企業へ就職したいという人たちへのリスペクトがあまりにもなさすぎて、その観点からも発言について理解できなかった。自分が傷ついたという発言も多かったが、「何を言っているんだろう」という気持ちが強かったのだろうと思う。そして、何度も言うが悩む前にそういった疑問が大きかったのだ。

 

 そして、呆れていたというのもあったのかもしれない。恩師ということもあり、理解しようと必死だった。それでも、自分の理解不足で全く理解ができなかった。この理解できなかったことものちに理解する必要がないことが多くあると気づいていくことになる。そうすると涙が出る理由もなくなる。突然涙が流れることもあると思うのだが、自分は涙が出ることはなかった。

 

 「よく泣かなかったね」と言われることが多い。今まで思い出して泣いたりエピソードを話していて泣いたりしたこともない。泣かなかったことがすごいとか讃えられることであるとか全く思わないが、確かに自分もよく泣かなかったと思う。とはいえ、傷つくような発言や人のしないような行動をされてきたため、自分はとてもしんどかったしもちろん毎日顔を合わせるのも辛くて嫌だった。その域だった。それでも、泣いている暇はなかった。3週間なるべく歩み寄ることに努めてきたが、その努力も虚しく実ることはなかった。どれだけボロクソに言われてもどれだけボコボコにされても自分にはそれを上回る感情があったのだろうと思う。今振り返って思うのだが、一度でも泣いていようものなら、もっと深く傷つく言動をされていたかもしれない。