その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

「センスがある人」と「センスがない人」の考え方の違い

 センス。憧れるのよなあ。センスって産まれ持ったものだから、この先自分が手に入れる瞬間はずっと来ない。いくら待っても。だからこそ尊くて羨ましくなるものなのかなあ。何に関してもセンスを持ってせず産まれてきてしまったことは、中学生の頃から気づき始めた。小学生の頃は、そんなこと思っていなかった。なぜか、センスがあると思って生きていた。全くもってそんなことないのに。今思えば、そんなわけもないのに。

 

 昨日、母校に帰ってソフトの指導をしてきた。指導とは言え、一緒に練習をしただけだ。自分もソフトが好きなんだなあと思う。誰一人一緒にプレーをしたことのある子がいるわけではない。それでも、一緒に練習していると楽しいのだ。

 8歳下の子がレフトでプレーすることがあるというのだ。元々内野手で、入部してから外野の動きを意識したことがないようだ。しかし、合同でチームを組むようになりポジションがレフトになったそうだ。課題は、ボールに対しての一歩目。顧問に「極意を教えてやってくれ」と言われた。極意なんて大袈裟だし、自分は内野手で外野手だったのは中2までだ。ただ、外野手の守備練習の方が断然好きで楽しかった。外野でソフト人生を終えてたら悔いなく終われていたかもしれない。まあ、そんなタラレバな話をしても仕方がない。昨日も、外野ノックを受けた。久々でとても楽しかった。

 

 「動きが省エネなんだよな~」と顧問は後輩のことについて言っていた。自分は、一瞬で気づいた。サボりたいとかしんどいからとかそれだけの理由じゃない。自分自身の能力と守備の感覚のバランスの取り方を知っているのだ。自分は6年間ソフトをしてきて、そんな瞬間に出会えた試しがない。確かに、省エネだったけどほとんどのボールは涼しい顔をして捕っている。その時思った。「自分自身のセンスに気づいているな」と。我武者羅に走ってボールを追いかけたり、捕れなくて悔しがったりするのはセンスがない者の方なのだ。センスがない人は、省エネで動くということを知らない。そんなことをする勇気すらない。だから、必死に動く。その分動きも大きくなる。一方、センスのある人は、上手く手を抜く。サボり方を知っている。聞こえは悪いが、それだけ器用なのだ。器用な分、上手く照準を合わせてくる。何とも羨ましい。

 

 センスがない分、人一倍しんどい思いをしているかもしれない。「これだけやってるのに、なぜ上手くなれない!」と思う頻度も高いかもしれない。それでも、自分のプレースタイルはこれでいいと思ってやっていたし、それ以外の道はなかった。それでいいと思ってるし。まあ、こんなことを言ってられるのも今は自己肯定感が低すぎないから言ってられることではあるけど(笑)