その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

作業をやりたくて生きていますか?

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「作業をやりたくて生きていますか?」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 単純作業やひたすら黙々と同じ作業を続けるようなことをするのはとても気が重いし、大変です。もちろんそういう仕事はあるわけですので、それを否定しているわけではありません。でも、「望んでいない作業のようなことを作業で終わらせるのはもったいないのではないか」と思うのです。作業と言っていますが、作業のようになってしまうことと言った方が正しいかもしれません。

 

 自分が通っていた中学校・高校が同じ学校である中高一貫校に通っていました。小学4年生の頃に中学受験をすると自ら決めたわけですが、なぜ中学受験をしたかったというと医者になりたいという壮大な夢があったから、そして地元の治安の悪い中学校には通いたくなかったからです。でも、学校の特性なんて知らずに受験をしたので知らなかったのですが、結果合格して通うことになる中高一貫校は英語に特化した学校でした。だから、毎日英語の授業はあるしむしろ1日に2度あることだってあrました。先生たちも英語に力を入れているし、先生たちも英語のプロフェッショナルのような人たちで、厳しい授業が多かったです。それに伴って課題は本当に膨大な量でした。そこで中間考査期末考査が始まる1週間程前に100単という英単語の100問テストが行われていました。ただ覚えるだけですし、周りのレベルは高いので平均点は90点を超えるようなテストでした。そこで、間違えた単語を30回ずつ程(正確な数字は忘れました)書くというペナルティがありました。そして、80点(これも正確な数字は忘れました笑)取れなかった場合は、再テストを受けなければいけませんでした。ここでペナルティの話をしたいのですが、もちろん先生としては課題として課しているのだと思います。でも、自分たち生徒にとっては完全に作業になりがちなのです。言っておきますが、ここでは「ペナルティに引っかからないように勉強すれば?」という正論はいりません。話を戻しますが、自分も作業になりがちであったペナルティを食らったことももちろんあります。でも、作業にしたくなかったので楽しく学習となるように発音しながら単語を書いていました。それでも楽しくは結果なりませんでしたが、作業にはなっていなかったので自分の中では満足でした。

 

 強制的な作業をやりたくて生きている人なんていないと思います。自分もその1人です。だから、「いかに作業を作業だと思わないか」が最も大事です。ものの捉えようが基礎となっている話です。作業であっても学びに成長につなげていきましょう。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「見返りは求めない」を予定しております。ではまた次回。