その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

見返りは求めない

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「見返りは求めない」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 「やってあげたことはそれと同じこと、もしくはそれ以上のことで返して欲しい」と思うのは、人間の真理かもしれません。本当に良く分かるし、きっと自分もそう思う人間だったと思います。小学生の頃、誕生日プレゼントをあげたのに自分の誕生日には何もしてくれなかったという経験があります。その時は、「何で同じようにしてくれないんだ」と思っていましたが、それは祝う気持ちはゼロで見返りの期待値が100だと今なら分かります。だから、それは間違っていたと思えるようになりました。偽善者と言われても青臭いと言われても「見返りは求めない」ことが正しいと自分は思っています。そう思うようになったきっかけをくれたのは、祖父と父でした。以前に書いたブログに触れた話の拡大版のようなブログになるかと思いますが、興味のある方は最後まで読んでいってください。

 

 自分は祖父、祖母、父、母、自分、妹の6人家族です。現在は自分も妹も実家を出て一人暮らしをしているので、3世帯でそれぞれ生活をしています。実家にいた頃は、祖父と祖母が1階で、父、母、自分、妹の4人は2階でいわゆる二世帯住宅で暮らしていました。リビングもダイニングも別でしたが風呂と玄関だけは同じでした。これは「1日1回は祖父母と顔を合わすことができるように」という父の粋な計らいでした。同じ家に住んでいましたが、生活リズムは全く違うような生活をしていました。そこで、たまに祖母が手料理を振る舞ってくれる時があり、6人で食べていました。たまにと言いましたが、料理のお裾分けを入れれば頻繁に祖母の料理を食べていたし、正月なんて祖母が全て作ってくれて、6人で食べています。その談笑中に祖父が「見返りは求めない。やってもらったことはその人に返すのではなく、下の代にやってあげなさい」と言っていたのが印象的で、今もずっと大事にしていることです。その意思を受け継いでいる父に育てもらっている自分もそのようにしていきたいと思うようになりました。「自分も同じようなことをしてもらいたいからする」というのではなく、完全なる好意・奉仕の精神で人と関わっていかなければいけないのです。

 

 キリスト教を信仰する学校に6年間通っていましたので、専門的な言葉を使うと「無償の愛」ということが本当に大事だと思います。自身のことなど二の次で目の前の人を愛すことのできる人間になりたいと卒業後でも常に思い続けています。目の前の人が笑顔にそして幸せになれば良いという過去にこのブログに書いた他人の喜びが自分の喜びに繋がることを続けていきたいと思っています。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「若手の話は仏の顔で聞く」を予定しております。ではまた次回。