その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

子どもは親の作品

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「子どもは親の作品」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 子どもが悪いことをしたら叱って終わりという親御さん。かなりいらっしゃいます。「え?それって子どもだけの責任なの?」と思うこともちらほらあります。でも、そういう親御さんに限って自身の子育てに自信をお持ちで、「まさか自身の育て方が悪かったの?」と思いにくい傾向にあります。

 

 今日のブログは祖父の放った言葉からヒントを得たブログとなっております。実家に帰ると、必ず祖母が料理を振舞ってくれ家族みんなでご飯を食べるのですが、その時に冗談だと(思いたい)思うのですが、父が子育てについて「こんなはずじゃなかった」といったニュアンスのことを言ったのです。はっきりしておきたいのですが、笑っていたし心の底から言っていないとは思います(笑)その時に祖父が「そんなこと言ったって仕方ない。お前と〇〇(自分の母)さんで作り上げた2つの作品だ」と言いました。それがとても印象的で頭から離れない言葉になっています。確かに、親を見ればどんな子かだいたい分かります。その子をどのように育ててきたのかが見えてくるからでしょう。子どもの言動、育ち方、考え方全てに責任を負わなければならないというのはそういうことです。特に乳児期から幼少期にかけてなんて子どもは社会のことなんて何一つ分からないし、五感で感じること全てが新鮮で新たな発見に繋がるわけだから、その経験をさせてあげなければならないのは親なわけです。その経験をさせてきた親が子どもの許せないところを見てしまうと「私は知りません」と責任から逃れようとしている姿が、自分は逆に許せません。

 

 祖父の言葉通り、子どもは親の作品なのです。自身が作った作品は責任を取らなければなりません。良いことで評価されたら誇らしい気分にとなるでしょう。しかし、それとは逆の評価をされた時にいかに「自身の育て方がいけなかったのかもしれない」と思えるかどうかです。どう足掻いても、育てたのはその子の親であるあなたですと言いたいです。自身の作品を汚しぐちゃぐちゃにされて放っておくのは違うということを自分は言いたいのです。汚されてぐちゃぐちゃにされたのなら、元通りにする努力を親がしなければいけません。「汚したのもぐちゃぐちゃにしたのも私ではない」と言ったところで誰かが修正して直してくれるわけでもないし、より一層汚されてぐちゃぐちゃにされるかもしれません。作品の作り始めも作っている途中も親が全責任を負わなければならないことを忘れてはなりません。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「結果より過程」を予定しております。ではまた次回。