その辺にいる社会人2年生(24)

社会人2年目のブログです。

悔しさをバネに

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「悔しさをバネに」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 いきなりこんなことを言うのもなんですが、決して自分は綺麗に生きてきてはいません。ごくありふれた一般家庭で育ち、親が敷いたレールを走ったことがないので失敗することだらけで、マラソンで何度も転んでいる感覚です。「受験に失敗した」とか「家庭環境が悪い」ということは運が良いのでありませんが、自分の人生を引きではなく寄りで見てみると何事もトントン拍子に進んだ人生ではなかったです。ここで言う「綺麗に」というのも個人的な価値観なので、ある人にとってみれば「綺麗に生きてきているではないか」と言われてしまうかもしれません。

 

 「高校受験がなくて楽だったじゃん」「大学受験も第1志望じゃないか」「何も悩みごとなんてなさそうじゃん」とたくさん言われてきましたが、自分からしたら「そんなことだけで人生を総評している気にならないでくれ」と叫びたくなるほど強く思っていました。常に楽しそうに笑っているイメージがあると言われますが、悔しい思いは人一倍してきている自信があります。確かに、日々楽しく幸せに過ごしていることは間違いありません。でも、悔しさをバネにやってきたことも数多くあります。自分は才能もセンスも自慢できるようなことも何もないとこのブログでも書いたことがあると思います。才能もセンスもないけど、それでも大好きなソフトボールは続けていました。これは高校生になって少し経ったくらいの時の話ですが、5番で打たせてもらえるようになりました。夏を乗り越え、秋には初の県大会に出場できチームとしても絶好調で、振り返れば個人的にも6年間を通しても1番活躍できていた時期でした。しかし、その年の冬から年が明けて春までスランプに陥ってしまいました。バッターボックスにいくら立っても結果が出ない悔しさをしばらく味わっていました。何度もチャンスを与えてくれるチームに申し訳なく、顧問に「下位打線にして欲しい」とお願いをしに行ったほどでした。でも、そんなお願いをしに行った自分が情けなかったし、僅かながら活躍できていた自分を思い返すと涙が止まらなくなってしまったこともありました。「その悔しさを無駄にしたくない。必ずあの頃の自分に戻ってやる」と意気込み、打てていた頃の自分をイメージしてバットを振り続けました。高校2年生になる春休み明けくらいには調子も戻ってきました。

 

 悔しい経験はなるべくしたくないけど、必ず自身の成長に繋げてくれることは間違いないということを、自分は体感しました。あの悔しさがあったからその後もずっとクリーンナップを任せてもらえて、最終的には4番として期待してもらえていたのだろうと思います。悔しいことがあれば這い上がろうとします。その這い上がろうとする姿勢が大事なのではないでしょうか。悔しいことは絶対に無駄ではないです。悔しさをバネにステップアップしていきましょう。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「子どもは親の作品」を予定しております。ではまた次回。