その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

「大人になる」ってどういうこと?

 先月24歳になった。段々歳をとって、何か恐怖を憶えるようになった。「まだ24歳なのに?」と思われるかもしれないが、「もう24歳」なのである。仕事も安定しているとは言えないし、パートナーがいるわけでもない。それでも、そこにこだわらないのならかなり幸せな人生を歩んでいる方である。しかし、そこにこだわらないといけない年齢に差し掛かっている現実から目を背けるわけにもいかないと分かっている。子どもが欲しいのなら、早く結婚しなければいけないし、一人で生きていくにしてもそれなりの人生設計しなければいけない。「結婚はゆっくり決めた方がいいよ」と先輩に言われ続けているが、その先輩は別れてからの方が幸せだと言っているし、可愛い子どもも2人いる。仕事も安定している。カッコいい生き方を実践している。自分はそんな素敵な人生を歩んでいく自信がない。きっとそもそも大人であって大人でないから、自信が持てるはずないのだろう。

 

 「大人って何だ?」とたまに思う。年齢的には24歳。立派な大人だと世間的には言われる年齢だ。でも、それは「成人」ということだけであって、きっと「大人」ではない。ただただ歳をとっていくだけになる成人になりそうで怖いと思っている。自分が思うに、「誰かの人生に責任を持つ」と大人になれると思う。誰かの人生に責任を持つなんて、それこそリスクを背負って怖いことなのではないだろうか。その覚悟も想像も今の自分にはできない。全く大人とは言えない状況だ。大学の同期のSNSを見ていると、続々と結婚していっている。そんな年齢なんだとゾッとする。自分とは別世界すぎて一周回って他人事である。一生共に生きていこうと思える人と出会って、結婚という決断をしたんだと、彼らの一大決心を影からひっそり見守っている。そして、子どもを授かり出産した同期もいる。適齢期と言われればそうだが、少し早い気もする。早く子育ては終わるかもしれないが、今のこの年齢で自分自身のことを犠牲にして子どもの未来に責任をとることを最優先に考える覚悟ができたんだと思うと、自分よりはるかに大人だと思う。とても立派なことである。

 

 自分はまだ友だちとワイワイしたり、家族と安定の時間を過ごしたりしている今に満足してしまっている。自分が大人になる時はいつ来るのだろう…自分でも不安になる。一生一緒に過ごしたいと思える人とも出会えないし、その人との子どもが欲しいと思える瞬間もない。この先、そんな瞬間が来るのかと本気で思っている。「誰かの人生に責任をとる」。カッコいい大人の人生の歩み方だ。