その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

親も1人の人間?

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「親も1人の人間?」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 「子育てに疲れたから」と言って虐待やネグレクトに発展して、それを責められると「親の前に1人の人間だ」と苦し紛れに言い訳をする、離婚という選択を取ったり子どもを捨てたりする母親が残念ながらこの世にいます。あるインフルエンサーInstagramのストーリーズ機能である質問箱にて、ある母親である方が質問をしていてその内容が「子どもがいるのですが、旦那と価値観が合わないので別れたいと考えています。でも、子どものことを考えると我慢するべきだとも思います。どうすれば良いと思いますか?」というものでした。そうするとそのインフルエンサーの方は、「あなたも親である前に1人の人間でしょ?自身の人生に後悔はすべきじゃない」といった感じで離婚を勧めているようでした。でも、自分はその返答を見た時に「自分の考えとは真逆だ」と思いました。

 

なぜそう思うのかと言うと、結婚も子どもを授かることも自らの行動発信です。つまり、誰からも強要されていないことだし選ぶ権利はあったということです。でも、結婚して子どもを授かったということは、自身の意思なわけです。その責任を放棄して、「また別の幸せを手放しで掴みに行くのだ」といった脳内お花畑状態の母親は許せません。親になった以上、責任と覚悟と常に隣り合わせです。そして、「結婚しても男性(女性)として見られたい」「1人の人間である」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、それは不可能なことだと自分は思います。現実的で申し訳ありませんが、子どもがいれば子どもが優先になるし、親が一々アイデンティティーを考える暇はないでしょう。その責任も覚悟もないのに結婚をして子どもを授かってはいけないと、そのインフルエンサーInstagramを見て思いました。

 

 もちろん親だって1人の人間です。でも、子どもの前では母親でそれ以上でもなければそれ以下でもありません。1人の人間であるという武器は全く使えない武器です。例えるなら、おもちゃの剣といったところでしょうか。親になるって相当なことであると思います。だから、無責任に親になることは決してしてはいけないし、周りの人間も肯定してはいけません。常に口を酸っぱくして言っていますが、親である方、親になっていく方は子どもには何の罪もないので、子どもが悲しむことは何が何でも避けてください。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「イメージ外を受け入れられない理由」を予定しております。ではまた次回。