その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

人間にとって「信用度」が1番大事!?

 突然ではあるが、久しぶりに1テーマを挙げて論じてみようと思う。今日の内容は、友人と話していて「そういう見方があるのか!」と思えたため、その勢いで書いてみる。

 

 「人間は、信用度が1番大事だと思う」。これは友人が放った言葉だ。そして、「学歴や育ちが信用を物語る」とも言っていた。確かにそうなのかもしれない。友人は、自分とは違って一生懸命勉強に励んできた人だ。学歴や肩書にこだわって生きてきたと話してくれた。自分には決してできない生き方で、新しい視点ができた。

 

 自分も信用度は大事であると思う。信用がなければ仕事は与えてもらえない。こんなことは言うまでもない。では、自分はどのようにして信用度は勝ち取っていくべきであると考えているかを論じていく。

 

 自分は学歴にも肩書にも興味が全くない人間である。そんなすごい学歴も肩書もないからかもしれない。それでも、誰かに学歴や肩書を承認されないと信用されない世界なら自分はいたくない。自分は昔から、何が特別できる人間でもなかったため、本当に「気持ち」だけで生きてきたと言っても過言ではない。「20歳超えてまで気持ちとか何言ってんだよ」と思われるかもしれない。でも、自分はこれ1本で他人からの信用を得てきた自負がある。一生懸命目の前のことに取り組んでいれば、その誠実さを買ってくれる人が現れる。情熱を持って励んでいればその情熱に共感してくれる人がいる。自分はこうやって信用を勝ち取ってきたし、逆にこれ以外を知らない。だからこそ、毎日必死に働く。「この仕事が好きです」「採用していただけたらこういうことをやっていきたいと思っています」ということをアピールすることが大事であると考えている。

 

 学歴や肩書にしか目を向けず、それによって態度を変える人間は嫌だ。自分という人間全体を見て判断して欲しい。学歴も肩書もその全体に入るとは思うが、学歴なら学校、肩書なら役職で学んだことや仕事に生かせると思うことが具体的に堂々と言えなければ意味がないとも思う。学歴や肩書だけであぐらをかいているようでは、その人間は信用できないと自分が考える。これも当たり前の話だ。

 

 でも、そうやって学歴や肩書が大事だという認識を植え付けたのは紛れもなく大人たちでこの日本という国なわけである。そんな固定概念を跳ね除けられる自分ばかりでない。そんなレールに従って忠実に生きている友人のような人もいる。友人からしたら自分のような人間が目障りであるかもしれない。環境と教育で人間はいいようにも悪いようにも変えてしまうということがあると改めて感じる。

 

 結論、生きていく上で信用度は大事だ。その信用を得るための過程にはそれぞれで考えていることが違うだろう。自分は、誰にでもできる誠実さや情熱、一生懸命さで地道に信用を積み上げていくことが大事だと考える。信用は得続けないといけないものであるし、学歴や肩書だけでは語ることはできないものなのだ。