その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

初志貫徹

 先日のブログで自分の妹の話をしたと思うが、全く顔も性格も違う妹でも同じ血が流れているからなのか妹と似ている点が自分が思い当たる点が1つだけある。それが、「初志貫徹」であるということだ。単純に言えば頑固なわけである。これが吉と出る場合もあれば凶と出る場合もある。それは自分も分かっていることであるが、きっと妹も分かっていることであると思う。

 

 自分は昔から考え方が変わったし、「これでは通用しない人間だ」と自覚をして変わる意識をし始めたが、根本初志貫徹であることは変わっていないと思っている。それがいいことなのか悪いことなのかは分からない。一度決めたことは変えずにやり通すことが美学だと思っていたが、大学に入り勉強していくにつれてそう思うことはなくなっていった。自分も妹も美学だとは思っていなくても、そうしないとモヤモヤするだけで一度決めたことは覚悟を持ってやり通そうという考えである。何度も言うが初志貫徹であることがいいことなのかは分からない。

 

 自分と妹の親はきっと困っていることも多い。例えば、進路の話でいくと自分と妹は自分自身の進路は自分たちで決めるものだと思っており、親が勧めた道を選んだことはない。でも、親からしてみればきっと悩ましいこともあっただろうと思う。この話も以前ブログに書いたのだが、自分は向いていることを選択しない。妹もそういうタイプだ。自分は音楽が得意だが、別にピアニストを目指しているわけでもなく音楽の先生になりたいわけでもない。体育の道を選んだ。妹はというと、運動神経が抜群で絵も上手く自分ができないことが全てできる。だから、自分より妹が体育の道にいった方がいいのだが、そう簡単にいかないのが我々である。ということで、親には迷惑をかけている自覚があるということだ。

 

 初志貫徹で得をしたこともある。「芯がある人だ」と思ってもらえやすい。「やりたい意志ははっきりしている」と思ってもらえることは、必ずプラスに働く。例えば自分はソフトが決して得意とは言えないが、好きだから一生懸命に取り組む。そうするとだいたいの人が「下手なくせに」といった声は浴びせて来ない。ピッチャーとして何とか引退をすることができたが、正直能力が追いつかず厳しい状態で引退はしたのだが、自分からピッチャーをやり始めたためそこは責任を取らなければいけないだろうということで、ピッチャーを辞めなかった。綺麗ごとを言うなと思われるかもしれないが、初志貫徹が自分のリズムになりステータスになっていったのかもしれない。

 

 一度決めたことから逃げたくないと思うようになったのは高校生の頃からであって、それまでは自分は違うと思えば方向転換をしてきた人間である。そのため、どちらの考えになってきた経験がある。しかし、自分はどちらの考え方は意味はあったと思っている。こうは言っても自分は初志貫徹の考え方を大事にしている節があるような気がすると自分では感じている。でもこれからも、基本は初志貫徹でどう足掻いたって行き止まりだと感じてしまえば自分は方向転換をしていこうと心がけている。