その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

自分と向き合う

 自分は仲のいい人たちとワイワイするのが好きである。お酒を一緒に飲めたら更にいい。むしろ、誰かと一緒にいないと寂しさを感じる。大学生になり一人暮らしを始めたが、寂しさをMaxに感じてしまい、新生活がスタートして1週間が経った頃に実家に帰ったという経験がある。18年間ずっと一緒に暮らしていた家族に無性に会いたくなってしまったのだ。そんな自分だが、1人での時間を昔から作る習慣がある。

 

 小学生の頃は、リビングに勉強机があったため自分の部屋というのはなかった。1人になって考える時間を作りたいが、場所がなかなかなかった。どうしていたかというと、風呂があまり得意ではないのだがわざと長風呂をして1人の空間を作り出していた。風呂で毎日を振り返っていた。「今日は誰とどんな話をしたか」「先生にかけられた言葉は何か」「習い事の出来はどうだったのか」と自問自答し続ける。そこで、個人的に行き詰っていることがあるのであれば、それも併せて考える。これを小学4年生くらいからやっている。なぜこんなことをしているかというと、自分はいざという時に他人に頼るのが苦手だ。頼りないのだが、自分のことしか頼れない。困った時に「どうするんだ」と聞く相手は必ず自分だった。家族とは仲がいいがそういったことは話さない。隠し事をしているわけではないが、相談したところで決めるのは結局自分だしなと思ってしまうため、概ね解決したあとに言う。「1人で抱えていた」とそこは正直に明るく話す。親と仲はよくても、「何でも話して」と言われたことはない。悩みが基本ない子だと思われているし、それもあながち間違っていない。「悩んでいても解決できる力はないから」と繰り返し言っているから知っているのかもしれない。

 

 小学4年生で中学受験することを決めた。塾に通いたい意志も示した。お金持ちでもエリートでも何でもないただの一般人が中学受験をするなんてことは並大抵のことではなかった。もちろん親族に中学受験をしたことのある人は誰もいないし、我が家には事例がなかった。相談することはしていなかっただろうが、相談相手もいなかった。成績が思い悩むこともあったし、苦手科目はずっと克服できずにいた。そんな時は風呂で考えることが多かった。国語の読解問題が苦手だと分かれば、小学5年生でも小学3年生くらいの問題に取り組み、易しい問題からやってみようかと自分なりに答えが出れば風呂から上がるようにしていた。

 

 中学生になれば、勉強で生きていくことが難しいと感じ始め、「何で生きていくのがベストなのか」ということを考えるようになった。中学生になると妹と同じ部屋だったが、勉強部屋が与えられた。妹がしっかりと勉強をしている空間で自分は「将来どうしよう」と椅子に座って考えていた。これはなかなか答えが出ず、1~2年はかかった。そんな日々を繰り返していた。部活一色で染められた中高6年間は部活のことで考え込むことが多かった。1人で机に向かって泣いている時も珍しくなかった。

 

 自分と向き合う時間は大事である。「何がしたいか分からない」と言う人がいるが、そういう人は確実に自身を見失っているのだろうと思う。まずはどんな人かということを理解するといい。得意科目をもっと得意にするのか、苦手科目を克服するのかの2択でさえ、2通りに分かれるだろう。それは、そもそもの成績から見える伸びしろや個人の性格によるメンタルキープなどを考える必要があるし、キーになるからである。自分と向き合えば、いろんな自分と可能性を見つけることができる。自分はそうだった。自分を無視してしまっていたら、スポーツが好きな自分を封印していただろう。そう思うと今はないし、恐ろしい話だと思う。悩んで迷っている方はぜひ自分の声に耳を傾けてみて欲しい。