その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

折り合いをつけて生きていく?

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「折り合いをつけて生きていく?」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 折り合いをつけて生きていくしかないと思っている方は、今の時代に沿った生き方ができていないのかもしれません。もちろん、戦争が当たり前であった時代では折り合いをつけるしか選択肢がなかっただろうし、折り合いをつけて生きていきたいと言おうもんなら非国民として扱われてきたと思います。でも、今の時代そんなことはありません。自分も折り合いをつけて生きていくことはしたくないし、その意思表明をしても許される時代です。

 

 早いもので自分もこの4月で大学4年生になりました。そして、大学では必要な単位を取らなければ進級・卒業ができません。これは大学3年生の時の話ですが、「人権教育」という科目を履修していました。自分が通っている大学の評価は、A~Dで示され、Aが最も良い評価です。そして、成績開示の日に評価を見てみると、「人権教育」の成績がBだったわけです。「人権教育」の成績はレポートで評価されました。先に言っておきますが、自分は「人権教育」の成績がBだったことやBと評価を下した先生に怒っているわけではありません。レポートの内容というのはもちろん各々で違います。そのレポートのどこを評価するかだったりとか、あらかじめ決めているポイントだったりとかはその先生の匙加減であるわけです。でも、その先生の好みそうなレポートを提出したり、先生にハマりそうなレポートを書いたりすることは違うと思うのです。例え、Aという成績を下してくれるなんてことを先生に言われたとしても、自分は自分の思うことを書いて提出します。それで、Bという評価だったとしても何も文句はありません。折り合いをつけて先生に「そうそうこれだ」と思われるようなレポートを書いて提出しても、自分が思っていることは書けていないかもしれないので、確実にモヤモヤします。だから、自分は折り合いをつけてまで他人からの評価を得ようとは思わないのです。

 

 折り合いをつけて生きている方もいらっしゃると思うし、そういう方は恐らく他人の評価が気になる方だと思います。でも、そんな時代はとっくに終わっています。だから、折り合いをつけずに生きていて、それを評価されないのなら関わる人と環境を変えるべきだと自分は思っています。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「他人の朗報を素直に喜べるか?」を予定しております。ではまた次回。