その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

他人の朗報を素直に喜べるか?

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「他人の朗報を素直に喜べるか?」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 「仏の心になりましょう」と言っているわけではありません。でも、他人の喜びを共に喜べるような心の広さは大事だと思います。「念願のあの車を買えた」「家を購入できた」みたいなことを言ってきても、「まだそんなことできてないのに」と腹の中で思うのはあまりすべきではありません。「もっと他人が喜んでいることを素直に喜んであげたい」と思っている人もいるそうで、もっとそう思える人が増えればと思っています。

 

 他人の朗報を素直に喜べないのには原因があります。まずは、心の余裕がないということです。そもそも心の余裕がないと、他人のことになんてかまけていられません。もちろん、自身のことに精一杯で周りが一切見えていないからです。そんなことでは当然他人の朗報を素直に喜べるはずがありません。そして、その人に対して嫉妬していることです。例えば、美容師になって憧れの美容院で働きたいという夢を持っている人がいたとして、その人は憧れの美容院の面接日に発熱し、欠席せざるを得なくなってしまったとしましょう。でも、その人の親友はその憧れの美容院で働くことが決まりました。そこで大好きな親友の朗報なのにも関わらず、素直に喜べませんでした。となると、完全に嫉妬で素直に喜べなかったのだろうということになります。本当だったら親友の朗報を全力で喜んであげたいけど、それがなかなかできないのです。嫉妬が喜びたい気持ちに勝ってしまった瞬間です。こちらのパターンは気づいていない方もいらっしゃると思います。東京大学に本当は入学したかったけど、実力が足りず結局受験することすら辞めてしまいました。でも、あるクラスメイトは東京大学を受験し、見事合格しました。そうすると、もちろん東京大学に合格するなんてすごいことですから喜びたいのにその人は、自身も諦めてしまった目標を叶えて学校の先生からもクラスメイトからも褒めてもらっている姿を見るのが辛いのだろうと思うのです。自身が諦めてしまったことを成し遂げた人が身近にいるのは、相当キツいということは分かります。

 

 「自身のことのように」という言葉が良く使われますが、確かに他人の朗報を素直に喜ぶには、それが正しいと思います。自身のことに置き換えて考えてみれば良いのです。自身のことは一旦置いておいておくのも重要だと考えます。「自身は自身、他人は他人」というようにメリハリをつけてみるのも大事だと思っています。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「目的を明らかにしよう」を予定しております。ではまた次回。