その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

頭を下げられなくなったら終わり

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「頭を下げられなくなったら終わり」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 何かお願い事をする場合や謝る場合に頭を下げると思います。ドラマや映画を見ていて、「頭を下げたら許してやる」というセリフを耳にしたことがあります。頭を下げることにどれだけ価値があるのかということなのですが、自分はここまで頭を下げるということに抵抗を持つ人間が多いため、勝手に価値が上がっていったのだろうと踏んでいるのです。しかし、そもそも「頭を下げることってそんなにハードルの高いことなのか」と思うのですが、皆さんいかがですか。先程の「頭を下げたら許してやる」といったセリフを言った人は「絶対にこの人は頭を下げられないだろう」と思っているから、こういった発言をしたのだと思います。何か「助けて欲しい」「協力して欲しい」と思ったのなら、何か「あれはこちら側が悪いことをした」「きっと言わない方が良かった」と思ったのなら、素直に頭を下げることが当たり前にできなければいけません。

 

自分は比較的、父と仲が良いのですが、自分が覚えている最も最近怒られた出来事を書かせていただきます。それは自分が高校2年生の時でした。中学生では小学生に通っていた塾を辞めていましたが、高校生からはまた同じ塾へ通うようになりました。もちろん部活動に全力を注いでいましたから、正直塾へ通う時間もないほどに忙しかったです。しかし、大学受験もするということで母に強制的に塾に通わされていました。自分は、今通っている大学の偏差値は全く高くなかったので、もしも一般入試で受けることになったとしても自力でやれると根拠のない自信があったこともあり、全く塾へ通うことが嫌で嫌で仕方なかったです。そんなある日に、自分は散髪に行きたいということで、「部活動を欠席するのではなく、塾を休みたい」といったことを母と話していて、それを聞いた父が怒ってきました。もちろん母にも「塾に行きなさい」と言われたし、父には「そんなことなら塾にはもう行かなくても良い」とブチ切れられました。時間がとにかくないので、削れる時間は塾の時間だと自分の中で判断しました。父と仲が悪くのは嫌なので、すぐに「塾へ行く」と言ったのですが、「もう良い」と言われてしまいました。そこから2日間程は口を利きませんでした。でも、自分は「謝らなければいけない」と思っていました。そして、父に無視されるようなことがあれば自分が謝りに来るのを父もきっと待っているのです。それも分かっているし反省したので、3日後に「話がある」と呼び出して「自分が塾と散髪を同じ土俵に並べたことが間違っていました。そして、塾へ行くのにもお金が発生しているのに親の気持ちを踏みにじってごめんなさい」と頭を下げました。すると、父は許してくれました。

 

 自分に非があると思った場合には、何もハードルだの抵抗感だの考えることなく自然に頭を下げることが習慣づいています。でも、これは何ら特別なことではありません。綺麗に頭を下げられる人間が自分はカッコいいと思っています。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「情報の取捨選択」を予定しております。ではまた次回。