その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

話に魂を

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「話に魂を」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 自分はとにかく熱い人間が好きです。それは以前ブログにも書いた通り、自分も熱い人間であるからです。まだ読んでいない方は「熱くなりすぎて空回り」というタイトルでブログを書いておりますので、ぜひ読んでいただきたいと思います。自分が熱い人間であるということを書いております。さて、自分は気持ちが入っていないようなカンペを棒読みしているような話が嫌いです。「これを言っておけば良いだろう」といったようにその人の意志で話しているということが分からないと、自分は話を聞く気にすらなれません。逆に、「この人は苦手だけど、話していることにこの人の魂がしっかりと宿っている」と感じる人は過去に出会ったことがあるし、自分は苦手だと思っていても話は聞く気になるのです。

 

 教師の中に「聞いてる!?」と子どもに叱る方がいらっしゃいますが、「頭ごなしに怒っているだけ」「建前に聞こえる」と子どもが思えば、もちろん話を聞いてもらえるわけがないのです。自分も自分が児童生徒の時、「自身の立場を守りたいのだろう」「誰のために話しているの?」と思うことが実際にありました。その時は建前だとか保身のためだとかというのは知らなかったので、「話に魂が宿っていないと話を聞く気にすらならない」ということが分かっていませんでしたが、少し考えて自分なりの答えが出た時にスッキリしました。ちなみに自分の恩師の話してくれる話には魂が宿っていました。そこも恩師の尊敬する点です。だから、どの話も真剣に聞いていました。恩師の思っていることをストレートに話してくれる姿がかっこ良かったのです。

 

 自身が話す話に魂を込めて、話すようにしなければいけないと、教員を目指すようになってから更に思うようになりました。しかし、これは教員だけでなくサラリーマンにだって職人さんにだって同じことが言えると思います。テンプレートのような話やありがちな話をすると、話を聞かされている人にとってはつまらなく退屈で、時間の無駄に感じてしまいます。話をするということは言葉を無心で発することではありません。そこに思いを乗せて届けることで、初めて受け取る側は「この人は誰かに言わされているのではない。思っていることを自身の言葉で伝えてくれている」と感じられるわけです。だから、自分もしっかりと話に魂を込めて、心の底から自分の意志で話していることを分かってもらえるような話し方を心がけていきたいです。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「異質集団での学習を推奨する理由」を予定しております。ではまた次回。