その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

必死はかっこ悪くない

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「必死はかっこ悪くない」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

  

 スマートに何事もこなすことこそがかっこ良いと自分も思っていたことがあります。でも、自分にはそんな器用さはないので、不器用な人間ならそれなりに頑張っていくしかないのだろうとずっと薄々気づいていました。「かっこ悪くても仕方ない」と割り切っていました。

 

 中学校・高校の部活動でソフトボールをしていました。共に入部した同級生は器用にこなし、スマートなプレーができるプレイヤーでした。逆に自分は皆さんお気づきでしょうが、スマートと真逆で生きてきた人間だし、求められたものを即座に形にできないプレイヤーでした。「自分は自分、他人は他人」と思うようにしていましたが、たまに「同級生のような華麗なプレーをしてみたい」と思っていたこともありました。その反面、同級生と同じルートをたどるのもどうかとも思っていました。そして、最終的に自分は後者の考えを深堀することを選んだわけです。「自分は自分で泥臭くやれば良いのではないか」「そもそも必死はかっこ悪いのか?」と思うようになりました。その上、それが「自分らしい」と感じました。むしろ「必死になることはかっこ良い」と自信を持って生きていこうと思ったのです。そこからとても気持ちが楽になりました。周りから見るとかっこ良いプレーでもなければ華麗なプレーでもないかもしれませんが、「一生懸命さが良い」と言ってもらえるようなプレーになろうと決めたわけです。実際に必死になってやることで、できることが増えたり同級生に認めてもらえたりしたので、あの頃やっていたことは間違いではなかったと思っています。

 

 必死に球に飛びついたり、必死にバットを振ったりすることが自分を表現できる、個性を発揮できる手段でした。だから、必死に何かに取り組むことを笑ったりバカにしたりすることは言語道断です。必死に取り組めることがその人の長所になると自分は思っているからです。自分も真面目にコツコツと一生懸命に丁寧にソフトボールと向き合ってきたつもりです。自分のプレースタイルが確立され、周りの人間にどんなプレイヤーであるかも知ってもらえてからは、「ずっとぶれずに必死にやっていこう」と思うようになりました。必死にやっていることが素直にどんな環境でも評価されることを願っています。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「子どもの1年間での成長」を予定しております。ではまた次回。