その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

障がい者の居場所

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「障がい者の居場所」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 今でこそ「バリアフリー」「ノーマライゼーション」といった言葉も世間に浸透し、障がい者への偏見もなくなりつつありますが、昔は全く障がい者に対する目が冷たかったものでした。だから、「健常者も障がい者も関係なく横並びで生きていこう」という現代社会の考え方に移行していっていることは素晴らしいと思っています。でも、まだまだ偏見がある人や差別をしている人もいるのです。

 

 障がいがあるからと言って、逆に気を遣いすぎるのもそれこそ無意識の中で差別していまっていると思うのです。とはいえ自分もつい最近高校生の頃まで、「障がいのある方には特別な配慮をしなければならない」と思っていたのですが、大学生になって特別支援教育のことについて学んでいく中で、それは間違いだということに気づきました。健常者と障がい者と分けてみてしまっている時点でいけないのではないかと思います。気を遣わせていることについて逆に気を遣ってしまうということを障がいのある方から聞いたことがあります。だから。先々に健常者や支援者が考えて全てを「手伝ってあげる」「助けてあげる」という精神でいてはいけないと思います。そして、根本的な話、「障がいがあるから何なの?」と自分は思うのですが、皆さんはどう思われますか。皆さんも苦手なことが1つはあると思いますが、その苦手であることが生活していく上で差支えないため「障害」として現代社会で捉えられていないから健常者として障がい者を冷たい目で見たり軽率な言葉を浴びせたりする人が存在しているのだと思います。自分は絵を描くのが本当に苦手です。苦手というよりかは描けません。だから、これを政府に障がいがあると認定されたら自分も障がい者となるわけです。学習障害と言ってLDと呼ばれる簡単に言うと読み・書き・計算ができないという人が世の中にはいます。学習においての基本的なことができないとなると障がい者となるのだから、ここに「絵が描けない」という項目が入ってくると自分も障がい者なのです。だから、当たり前にできていることができないというだけで、差別は絶対にしてはいけないことです。

 

 つまり、自分が思う障がい者の居場所は「健常者と同じように扱われる社会」です。分け隔てなく共に生活することを望んでいるのではないかと思います。だから、「この人は障がい者」と変に意識しすぎるのは違うということです。これからの時代は障がい者の居場所を考えた障がい者が求める、障がい者のニーズに合わせた障がい者への支援が必要になってくるのだろうと思います。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「ロボットを作っているのではない」を予定しております。ではまた次回。