その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

学びがないことに価値を見い出せない

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「学びがないことに価値を見い出せない」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 今日のお話は「時間は無限であるようで有限」であるという以前のブログでもテーマにさせていただいたお話と被っているところが多いかと思います。読んでくださった方はお分かりいただけると思いますが、自分は時間を人一倍大事にするタイプの人間です。小学生の頃、親に褒めてもらったことで記憶に色濃く残っているのは、「努力家」であるということと「時間の使い方が上手い」ということです。努力家かどうかは置いておいて、時間を上手く使うという点においては少し自信があるかもしれません。

 

 例えば、「良くそのような酷いことができるな」と言われるかもしれませんが、自分は他人を良く観察して、関わっていく中で学びがあると確信しなければ友人にはなりません。はっきり言うと、友人は選んでいます。いやらしいかもしれませんが、「その人と関わることによって、どんなメリットがあるのか」を最優先にして人付き合いをしてきました。選ぶと言うと語弊がありますが、自分の成長のためにならない、むしろ妨げになると感じたら一歩引くようにしています。最低限の付き合いというやつです。過去にいくつも離れた先輩にご飯を誘われても行かなかったことが何度もあります。友人に「カラオケに行かない?」と言われても「このメンバーでどんちゃん騒ぎをして何が得られるのだろう」という考えに至って、「遠慮しておく」と返したことも少なくありません。ここまで読むと「遊ばないの?」と思われるかもしれませんが、決してそうではありません。遊ぶ時間も有意義な時間にしたいのです。結局、どんな人間で、どのような関係かということが大事なのです。ご飯を食べるにしろ、カラオケに行くにしろ「この人とだったらリラックスできる」「この人と関わっているとストレス発散になる」と思えないと自分の中ではアウトなのです。次に「遊んでいる中で学ぶことってあるの?」という疑問を持った方もいらっしゃるかもしれませんね。何をするにも必ずコミュニケーションをとる場面があると思います。自分の経験上、絶対に「自分の成長の助けをしてくれる」と思わせてくれる人間と話していると自然に学びになっていることが多いです。だから、その友人との解散後にいつももちろん「楽しかった」とも思いますが、まずは「今日もたくさん学べた」と感じています。

 

 一度環境は大事であるということを書かせていただきましたが、関わる人間も本当に重要です。時間は有限です。できる限り自分にプラスになるような人間と関わっていきたいと思いませんか?社会人になってこの理論が通用するなんて思っていません。人を選んで人付き合いをしていくことは難しいでしょう。でも、プライベートでは自分の成長のためになる付き合いをしたいと思っています。少し意識を変えるだけで「ただの遊び」が「ただの遊び」にならない場合があることを分かっていただければ嬉しいです。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「自分にできることと最大限に向き合う」を予定しております。ではまた次回。