その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

「みんな仲良く」は不可能

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「みんな仲良くは不可能」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 タイトルだけ見ると「過激」「踏み込んだ」と思われるかもしれませんが、このブログを読み終わった頃にはおそらく皆さんが想像する「誰とでも仲良くしなければいけないのに」「そんなことを言ってはいけないのに」という感情を抱いていないだろうと思います。小学生の頃に学級目標というものがあったと思います。自分が通っていた小学校にも存在しました。いつかははっきり覚えていませんが、学級目標が「みんな仲良くしよう!」でした。何とも単純明快な学級目標であるということが第1印象でした。そして、この学級目標を考えてくれた担任の先生には申し訳なかったですが、それは不可能なのではないかと思いました。そう思ったのには理由があり、それこそ単純明快で「学級は人それぞれ価値観が違う人間の集合体であるから」という理由です。だからといって自身と合わないから、苦手だからという理由でいじめに発展させるのは違います。結論何が言いたいかと言うと、「表現の仕方が間違っている」ということです。どういうことかと言うと、「みんな仲良くしよう!」ではなく例えば「他者を尊重し、受け入れよう!」という学級目標が掲げられていたとしたら、自分もスッキリしていたと思います。「仲良くする」のではなく「受け入れる」という表現がピッタリなのではないかと思います。みんなと仲良くする必要はないと思っています。でも、自身が苦手とする、最低限だけ関わりたいという人に対して不快感を与えてはなりません。

 

 自身に置き換えて考えてみてください。苦手な人や合わないと感じる人が周りにいた時、無理して仲良くしようとしていましたか?そういう気遣いができる人もいるんだと思いますが、自分はとてもじゃないけどできないので、「この人はこういう人なんだ」と受け入れ、最低限しか関わらなかったし、それ以上のこともそれ以下のこともしませんでした。過去のブログで書いたことがあると思いますが、苦手な人と上手く付き合っていくことと今日のテーマと似ているようなところがあったかと思います。自身の感覚、価値観、考え方等の枠から外れているからと言って弾くのではなく、受け入れる、ただそれだけを意識するだけで良いと思っています。小学校の頃の担任の先生には「みんな仲良く」ではなく「どんな人のことも受け入れる」ということで学級目標を掲げて欲しかったということです。少し言い方を変えるだけで、かなり聞こえが変わってきます。皆さんも「受け入れる」を意識してみてください。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「接客業者の提供するサービスはどこまで?」を予定しております。ではまた次回。