その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

照れって必要?

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「照れって必要?」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 自分は小学校に入るまで周りの人たちを笑かすことが好きな子どもでした。変な顔をしたり変なポーズで写真を撮ったりするのなんて当たり前でした。何も恥ずかしいと思わずにやっていました。とにかく「恥ずかしい」という感情がほとんどない子どもでした。自分がおもしろいことをして周りの人たちが笑ってくれれば何も言うことないと思っていました。ブログに書いたことがあるように、小学生になってからは「良い子」を演じていたので、人前で芸人さんのマネをしたり人を笑かしたりすることは段々となくなっていきました。

 

 そして、中学生になりこれまたブログに書いた通り自分を偽っていることがバカバカしく思え、喜怒哀楽を自由に表現し何も隠すことなく生きていこうと思うようになりました。「照れて言わなければいけないことが言えない」「恥ずかしいから言わないでおこう」と思春期はその気持ちは強くなると思いますが、本当に恥ずかしいことではありません。謝らなければならない時には素直に「ごめんなさい」感謝しなければならない時には素直に「ありがとう」と当たり前に言えるように自分で気をつけてきたつもりです。それでもやはり周りを見ても言葉が素直に出せない人を何人も見てきました。それは反抗期というハンデを差し引いたとしても、「言わなければいけないことはいつだって言わなければならない」と思っていました。現在自分は21歳です。昨年20歳を迎え、今年の成人式にも出席しました。その成人式に向かう前に事前に書いておいた手紙を両親に渡しました。たくさん迷惑と心配をかけてきたことに対しての謝罪とここまで手塩にかけて育ててくれた感謝を綴った手紙でした。「改めて親に向けて手紙を書くなんて恥ずかしい」と思う人が多いかもしれません。もちろん義務付けられたものではありませんが、「恥ずかしがることなく素直に気持ちが伝えられるか否か」問われる場面であることは間違いないと思います。あの時恥ずかしがることなく手紙を渡せて良かったと今でも思っています。

 

 照れ屋さんという人がいますが、その点については何も言いませんが、「ごめんなさい」と「ありがとう」を言わなければならない時に言えないことは許されません。素直になることの何が恥ずかしいのか今の自分には分かりません。「ごめんなさい」と「ありがとう」を素直に当たり前に口から出てこない方がいけないと思うし、自分が教員になれた時生徒たちに指導していきたいと思っています。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「失敗したくない?それなら成功は諦めろ」を予定しております。ではまた次回。