その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

少年の主張

 子どもにも将来叶えたい夢や今思うことが当たり前にある。しかし、それを言語化・文章化するとなると難しい。小学生の頃から、作文や日記を書いたことはあっても、しっかりとした自身の思いを盛り込んだ文章を書こうとなれば自然と難易度が上がることは何となく想像がつくだろう。「少年の主張」という中学生たちが夢や願いを書いて提出するというコンクールがある。それを自分が教育実習へ行った際に生徒が書いていた。すらすら書ける生徒もずっと悩んでいる生徒もいた。

 

 教育実習の間は授業をするだけではない。配属されたクラスの朝終礼も行う。それもただ連絡事項を伝えて「掃除をして明日も元気に登校してください」と言う単純な作業ではない。クラスの様子を見て思うことや特別に話しておかなければならない話をしなければならない。少年の主張を書いている生徒を見て思うことがあったので、その日はそのことについて話をした。

 

 自分が生徒に伝えたかったことは、「日々考えを巡らせていないと文章にすることが高いハードルに感じてしまう」ということだ。本当に何でもいいのだ。空が綺麗だ、今日の部活は楽しかったなどどんな些細なことでもいいのだ。そう思うことが何かに必ず繋がってくれるのである。自分はそういった経験をしてきているから、生徒にも勧めてみようと思い、話をさせてもらった。どんなことを感じるか、何者になりたいかなんて意外と小さなきっかけからということが多い。「何でテニスを始めたのか」「近所のお兄ちゃんがやっているから」こんな会話かなりの確率で転がっている。でも、「何でテニスを始めたのか」「錦織選手が地元に来てくれてプレーに魅了されたから」みたいな会話は確率が低いし、それがきっかけでテニスを始めた子どもはどのくらいいるのだろうか。極端な話、錦織選手に出会わなくともテニスを始めるきっかけはいくらでもある。

 

 だから、生徒たちには常にアンテナを張ってみて欲しいと言った。それが生徒のためになるかどうかは分からないけど、熱中できるものを大切にして欲しいという話と繋がる。何がどんなことがきっかけでもいい。だから、夢や希望を持って欲しいのだ。考えることや感じることでその人自身の人生を変えるかもしれない。自分もかつてそうだった。腐っている自分を認め、降参し耳を傾けることのできる大人と出会い、夢を持つことができた。生徒に自分の考えを押し売りするような教員にはなりたくない。だから、ここからは生徒たちに判断して欲しい。でも、「先生の話とても響きました」と言ってくれた生徒もいて嬉しくなった。話は変わるが、中3の自分は嘘でもこんな素晴らしい一言を言えただろうか。きっと言えなかった。そんな真剣に聞いてくれる生徒たちにたくさんの話をさせてもらったが、もっと話がしたかった。伝えたいことがたくさんある。それは自分が教員になった時のためにとっておこう。教育実習で配属された生徒のみんなは自分の生徒第一号。これからも大切な存在だ。

子どもに寄り添う

 物理的にいつも子どもの側にいるということが子どもに寄り添うということではないことは大体の想像がつく。「どのような教員になりたいと思われていますか?」と面接官に聞かれ、「子どもに寄り添える教員です」と答える受験生は多い。自分も子どもに寄り添える教員になりたいと、自分がしてもらったことと同じように自分が教員になった際の子どもに返していきたいと思っている。でも、よくよく考えてみると子どもに心理的な面で寄り添うとはどういうことなのか曖昧な解釈をしていたような気がする。

 

 そう思うきっかけとなったのは、昨日放送された24時間テレビスペシャルドラマ「生徒が人生をやり直せる学校」である。世間の言葉を使うならば、「荒れた学校」を舞台に生徒一人一人の抱える問題が描かれていた。校則は「制服を着る」ことのみだ。ヤングケアラーでお腹を空かせたくないため体育の授業を休んだり、母親がアルコール中毒で家に居場所がなかったり、妊娠をしたり誰にも頼れない、大人に打ち明けることのできない生徒が大勢いる学校だった。自分は正直、金銭的に困っている人に出会ったことがないし「荒れた生徒」と交わったことがない。そして、自分自身もそういった苦労をしたことがない。ありがたい話である。

 

 自分ならどう対処するだろうと思いながら学園ドラマは見てしまう。教員をされている先生やこれから教員を目指す者は誰しもそうだろうと思う。その中で印象に残ったのは、お腹が空いている生徒にパンを奢った先生に対して、他の生徒が「パンをあげて満足なのか」と言い放ったシーンだ。確かに、自分も良かれと思ってといった言動はありがた迷惑だと思うし、パンを1つ生徒にあげることなんて簡単なことで実は表面的な解決はできたとしても、結局は何の解決にもなっていないことは分かる。でも、その生徒は続けて「(人間の)底辺の気持ちなんて分かるわけがない」と言ったのだ。この生徒たちはそのようなことを思って生きているのかと思うと何とも言えない気持ちになった。子どもは無力だ。子どもが悪いわけではない。何をやっているんだと一言怒ればまた生徒が委縮してしまう。悪循環の始まりだと思う。

 

 経済面の問題で夢を持てない、目の前の生活をすることで精一杯な生徒がほとんどだった。美容師になりたい、保育士になりたいという立派な夢はあるけど結局「お金がかかることは無理」とそこで折り合いをつけて生きていくことを余儀なくされる生徒ばかりだったが、先生たちは諦めなかったしどうにか経済面を気にせず夢を追いかけることができる環境を作り、絶対に生徒のことを見捨てない精神に感動した。その子自身が困らせているのではない、困っているんだという言葉も印象的だった。「何か助けて欲しいことある?」「足りないことある?」と聞くことも、デリカシーのないことなのではないかと思うようになった。どんな子どもにもそれなりのプライドがあって、そのプライドが傷つけられそうになると心を開くどころか、更に敬遠してしまうだろう。あるいは学校の世話にはなるなと親に言われている生徒もいるかもしれない。「力になるから何でも言ってね」なんてなんとなく軽くて無責任な言葉だ。心が通い合っていない人同士の会話の中で入れてはいけない言葉だと感じる。何でも言える状況でないかもしれない。想像力が常に欠かせないのが教員という仕事かもしれない。でも、やはり子どもの力になりたいということは嘘偽りない気持ちであるため、子どもの気持ちを踏みにじることなく、心を開いてもらえるような方法を模索していく。

出会ってくれた生徒のみんな

 今日は教育実習の話に戻ろうと思う。家庭教師を約2年半させてもらっていて、そこでもたくさんの生徒に出会わせてもらった。たった数ヶ月、数年の付き合いかもしれないが、生徒のみんなと顔を合わせることが楽しくて仕方がなかった。今はもう何もアルバイトをしていないし、これまで関わってくれた生徒のみんなのことが懐かしく、元気にしているかとふと思うことがある。

 

 教育実習でもたくさんの生徒に出会うことができた。学校インターンシップという教育実習の一歩手前のような体験を大学でさせてもらった時にも、たくさんの生徒と一緒に体を動かしたり、勉強の質問を受けたりしたが、それよりも濃い経験をさせてもらえた。教育実習では1人の先生について、その先生が担任しているクラスに自分も所属させてもらえるため、そのクラスの生徒を中心に関係を築いていった。もちろん担当のクラスの学年の生徒や自分が所属していた部活の生徒ともたくさんふれあうことができた。

 

 自分が所属していたクラスの生徒は、比較的大人しかったが、日が経つにつれ距離が縮まっていることを実感し、嬉しかった。中3のクラスだったため、自分が中3の頃を頻繁に思い出していた。中学生特有の未熟さと危なっかしさがあると偉そうながら思った。自分が中学生の頃は、尖っていた頃と自分にも周りにも素直になれていた頃の時期で構成される。自分と同じようにポーカーフェイスを保っている生徒も元気に笑顔で過ごしている生徒もいて、自分たちが中学生の頃とあまり変わっていないとなぜか安心した。そうは言っても、自分には楽しそうに話しかけてくれたり、勉強の悩みを打ち明けてくれたりしてくれてとても自分も楽しかった。

 

 たったの3週間という短い時間であったが、とても良い時間を過ごせた。一緒に掃除をして、放課後にたくさん話をして、とても有意義な時間を過ごすことができた。教育実習で出会った生徒のみんなには感謝をしている。自分はもちろん教育実習ということなので、担当したクラスのみんなを始め学年のみんなには自分の課題が山盛りな授業を受けてもらった。怪我をして松葉杖をついているためプリントを率先して配ってくれたり、積極的に発言をしてくれたり本当にたくさん助けてもらった。「何かできることがあれば言ってください」のこの一言がとても支えになった。生徒のおかげで体が不自由な状態での教育実習を乗り越えることができたと言っても過言ではない。心の優しい生徒にたくさん出会えて幸せだったし、教員になりたいと強く思うようにもなった。

 

 教育実習最終日。クラスのみんなからサプライズで色紙をもらった。みんなの思いが詰まった温かい色紙をもらって家に帰って、自分も思いが溢れて泣いてしまった。お別れの日だから泣いてくれた生徒もいた。3週間でこんなにも自分のことを大事に思ってくれていたんだということが伝わってきてそこでももらい泣きをしてしまった。「早く怪我が治りますように」「絶対先生なってくださいね」と色紙に書いてあって、とても嬉しかった。みんなの思いを受け止めてこれからも精一杯やっていきたい。そして、また大きくなったみんなと会いたいと思っている。

大人の都合に振り回される子どもの気持ち

 今日の話は、高校野球の話。中学生の頃から、春夏一度ずつは阪神甲子園球場へ足を運び、高校野球を観戦している。プロ野球も好きでたまに見に行くのだが、巨人ファンであるということもあって、言わずもがな阪神甲子園球場の観覧席に足を踏み入れることが複雑な気持ちになるのだ。そんなことを跳ね除けて高校野球観戦に行く自分を魅了する高校野球は本当に素晴らしい。年上のお兄さんたちが汗を流して白球を追いかけて泥だらけになっている姿に感動していたが、今では年下の男の子を応援する立場になっている。しかし、どの立場になっても応援したくなるのが高校野球だと思っている。

 

 昨日、第一試合の大阪桐蔭VS東海大菅生の試合が行われたが、8回表の東海大菅生の攻撃途中で降雨のためそこでコールドでゲームセットとなってしまった。高校野球は、7回まで終了していればノーゲームとはならず、試合が成立するシステムだ。そして、何より東海大菅生の攻撃が押せ押せムードだったということが自分の胸を痛めた。まず言っておくが、自分は東海大菅生の応援をしていたわけでも、大阪桐蔭のファンでもない。あくまでも中立の立場で今回のこの判断は間違いだったのではないかと思うわけだ。

 

 何が間違いだと思うかということなのだが、6回あたりから雨足はが強くなり、ピッチャーもマウンド上で足を滑らせたり、打球がグラウンド上の水たまりの影響で止まってしまったりしていたのにも関わらず、判断が遅くズルズルと8回表の途中までやり、大阪桐蔭からしても東海大相模からしても中途半端な不完全燃焼な試合になってしまったであろうということである。あの大雨の中試合をさせて、結局降雨コールドで幕切れなんて誰も納得はいかない。それでも、大人たちはそういった決断をした。確かに、東京五輪2020が無事閉幕してから季節外れの大雨が続いていて、高校野球の試合が予定通りに進んでいないのは事実だ。しかし、予定通りに進めることを最優先にして野球をさせる大人の神経が自分には分からなかった。誰が主役で誰のための高校野球かが全く分かっていない大人の判断なのだろうと思う。阪神甲子園球場は屋外であるため、天候がプレーを大きく左右する。それなのにパフォーマンスが落ちるほどの降雨を無視してコールドが成立する7回を無理やり終えさせたようにしか見えなかったため、自分はモヤモヤしているわけだ。そして、4試合ありそのうちの1試合が終わったからと言って、何も予定の調整ができるわけではないのである。今日、昨日やる予定だった残りの3試合を行うはずが、また雨天延期ということになった。それならば、ドロドロで無茶をして昨日大人の都合で試合を終えさせられた2校との公平性はないに等しいと感じた。

 

 はっきり言って、大人の都合に振り回される子どもは本当にいい迷惑だ。子どもは無力だ。子どもがいくら動いたとしてもGoサインを出すのは最終的に大人である。そういったものが高校野球で見られる悲しい結末だったと自分は辛かった。もちろん、1番腑に落ちないと思っているのは、選手たちだ。何のためにこれまでたくさんのものを犠牲にして、全てを野球一色に染めてきたのかと思っている選手がほとんどだと思う。こんな形で選手たちの、子どもたちの夢が失われ理不尽に報われないのはいかがなものかと思うわけだ。大人の都合なんて関係ない。子どもを導き、子どものことを支え一生懸命に考えていこうと改めて思った。

「舐めていたかもしれない」とは言えなかった

 まず初めに答えだけ示しておこう。「舐めていたかもしれない」と嘘をついてでも言えなかったのは、それが真実ではなかったから。舐めていたかもしれないと一瞬でもそのような節があったと思ったのなら、認めてしまって構わない。というより、正直にそこは頭を下げて謝るべきだ。でも、自分の場合舐めていなかった。教員の存在を舐めていなかった。

 

 小学生の頃は、学校の先生が嫌いだった。そんな中、教員である父のことは尊敬していた。何とも矛盾している話だ。日々大変そうに働いていて、一般企業とはまた違う苦労をしているところを間近で見てきていたこともあり教員という職業を嫌いにはなりきれなかったのかもしれないと今は思う。だから、ずっと教員という職業を舐めていない。自分が教員になりたいと思い始めてからは、より一層尊敬の意が高まっているのは言うまでもない。

 

 教育実習で自分の師匠である教官に死ぬほど怒られた日々をこのブログ内で綴ってきた。まだ読んでない方はそちらを先に読んで欲しい。そんな日々の中で「舐めてるのか?」といつか聞かれるのではないかとビクビクしていたが、それは言われなかった。本当に舐めているつもりはなかった。教官からすれば不可解な行動ばかりしていたと思うが、それだけは言われなかった。教官はなぜ自分が一般企業に就職するのでなく教員になりたいと思っているのかを知ってくれている。だから言わなかっただけかもしれない。言われてしまってもおかしくないほどに怒られていた。

 

 「教職を舐めてしまっていました。申し訳ありません。」と言ってしまえば、そこで何もかもが終了してしまうことには気づいていた。教官をガッカリさせてしまうことはもちろんのこと、教員になる資格はないということにもなってしまう。嘘をついてまでその言葉を発しようとは思わなかった。自分の夢を舐めることほどみっともないことはないだろう。誰だって憧れてキラキラしたものに見えるから目指すのであって、バカにしたような姿勢で夢を追うわけがない。最近雨の影響で中止が多かったが、第103回全国高校野球選手権大会が開催されている。甲子園に出場している選手一人一人の顔はいきいきしている。それは憧れの目標にしていた阪神甲子園球場でプレーできていることに幸せと喜びを噛み締めているからそのような顔になるのだろう。そういうものである。

 

 要するに、自分も教員を舐めているわけがない。そして、教官のことを尊敬している。いつまでも自分の師匠だし、足を向けて寝られない恩師である。尊敬の気持ちを忘れることなく、教育実習を始めた。その気持ちだけは伝わっていたと信じたい。舐めていたかもしれないなんて口にする言葉じゃない。

「すごい」が口癖

 褒める言葉である「すごい」。これを自分は多用している。自分の口癖なんて小っ恥ずかしくて自ら見つけようなんて思ったことすらなかった。教員を目指すにあたって同期に生徒役を演じてもらって実際の授業のように試すという模擬授業をやるのだが、そこで授業の内容以外にアドバイスや指導されることがあるのが、「口癖」なのである。模擬授業をするようになってから、自分の口癖は何だろうと思うようにもなった。自分では「すごい」という言葉をよく発していると思うのだ。一方、周りは「~なんですけど」とよく言っていると言う。自覚はなかったが、意識して自分の発言を聞いていると確かに重ね重ね言っている。なぜこれを言っているのかは分からないし、今回書きたいことと別件であるため、今回はこの辺にしておく。

 

 単純になぜ自分は「すごい」と言葉にするかと言われると、これまた単純にすごいと思っているからだ。自分は絵を描くことが苦手だ。苦手というより書けない。壊滅的な絵が毎度出来上がってしまう。だから、絵が上手な生徒がいればありえないほど褒める。「何でこんな絵が描けるん?」「想像力どうなってるん?」「すごすぎん!?」というようにとにかくすごいと褒める。でも、これはお世辞でも社交辞令でもなく本心なのである。これが口癖で損したことはない。自分ができることが少ないため、当然言う回数は増える。「社会が得意なんてすごい」「毎日家事をやっているなんてすごい」「英検1級を持っていてすごい」これらなんて自分ができないから素直にすごいと言えているだけなのである。逆に自分ができることをすごいと言えないのでないかと思われるかもしれないが、そういういことはない。ホームランを打てる中学生がいたとして、自分もホームランを打てるが初ホームランを放ったのは高校生だ。察しの良い方は分かると思うが、早くホームランが打てるようになった先程の中学生のことを真正面からすごいと言える。当然のことである。

 

 どんな小さなことでも、どんな些細なことでも良いのだ。「すごい」と言うことを習慣にしているとどんな人のことを尊敬できる、尊重できるようになると思っている。自分にできることで他人にできることがゼロであることはないに等しい。自分にできないこと、自分が持っていないものを持っている自分以外の人類すべてを尊重すべきである。そうすれば、偏見も差別もなくなる。攻撃するのは辞めよう。違いを受け入れ、認め合おう。どんな人だって自分と同じで尊いものである。

素直すぎる

 何事も限度というものが存在する。限界を超えると「もう無理だ」と声を上げたくなる。自分は目上の人に敬語を使うのが苦手で、中1の時に高2の先輩に呼び出された。「なぜ何度も敬語を使えと言っているのに使えないんだ」みたいな感じで尋ねられた。これまでずっと見逃していたけど、度が過ぎているから呼び出したそうだ。どうやらその先輩の許容範囲を超えてしまっていたらしい。そういった感じで超過することはあまり良くない。

 

 突然だが、自分は人よりかなり素直らしい。そんなことに気づかずに15年ほど生きてきた。小学生の頃は尖っていたし、間違った認識をしていたこともあり自分のことを素直だなんて全く思ったことがなかった。でも、教官が「素直なところが良いところだ」と中3の時に教えてくれた。最初教官の言っている意味が全く分からなかった。「どこをどう見てそう思ったんだ」と疑問に思っていた。具体的に教官に聞いてみれば良かったのだが、中3の自分は聞かなかった。時を経て、教官にまた面と向かって「素直だ」と言われた。でも、それに加えて「素直すぎる」と言われたのだ。「歳を重ねるにつれて素直が増したのか」とクエスチョンマークが頭にたくさん浮かんだ。どれだけ教官に怒られてもどんなことを言われても、真正面から受け止めて全てを反省している姿が素直すぎるというように映ったのかもしれない。でも、自分には流すことができなかった。ただの教育実習であればここまで反省することも凹むこともない。ただ、指導教諭が教官というだけで成長を見せたいという気持ちもあったし、「教師として」指導してもらいたいと思っていたため、思い入れも違っていた。教育実習にかける思いは人一倍あったという自負がある。

 

 「素直すぎるのもたまにキズ」だそうだ。自分には全く分からない。素直なことは良いことだと思っているから余計に、その範疇を超えてしまったらそれはそれでいけないなんて、そんなことを「はい、分かりました」と呑み込めるほど、高度な技術を持ち合わせていない。教官に求められることは本当にレベルが高くてついていくのに必死だった。教官に意見を求められた時にはきちんと意見を言っていたのに素直すぎると感じ取られたのは、どういうことなのかと未だに考えている。「でも」「だって」という言葉を使ってしまっていたが、「すみません」と何はともあれ、自分が悪かったという意思は示していたつもりだ。それが素直すぎるということに繋がったのかもしれない。こればっかりは分からない。これから考えていく。