その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

東京五輪2020

 東京五輪を開催するにあたって、本当に様々な問題に直面した。エンブレム問題、女性蔑視発言問題、過去のいじめ問題などである。そもそも東京五輪を開催するかどうかですら世論は分かれていた。結局、新型コロナウイルスの感染拡大が止められないまま東京五輪は開催されることとなったが、正直強行突破だったと思う。昨日、東京五輪は閉幕した。そして、こう思った。「東京五輪は開催されて良かった」と。自分は東京五輪は開催されるべきだとずっと思っていた。無観客で開催されるなら尚更だ。2020年の母国開催東京五輪でメダルを獲得するという夢を追いかけてきたアスリートの皆さんの気持ちを考えると簡単に中止にできない。1年延期をしているのにも関わらず、「やはり中止にします」というのは通じないと思う。

 

 オリンピックを目標にしているアスリートが多い中で、オリンピックを大切にしているアスリートに向けて「五輪の中止を求める」とSNSで直接届ける人たちの意味も分からなかった。開催するかどうかというのは、アスリートが決めるものではない。大切にしているものや目標にしているものを批判されることほど屈辱的なことはない。アスリートの皆さんもグッと気持ちを殺し、辛い思いをしながらも必死に堪えたことだろう。開会式当日も、悲しいことに「#東京五輪の中止を求めます」というタグがTwitterのトレンドに入っていた。無事に見事に開催されてからもまだそのようなことを言って、アスリートの皆さんをガッカリさせるようなことを発信している日本国民に対して、民度が低いと思った。新型コロナウイルスの勢いは凄まじく、終息の日なんて見当もつかない。怖いと思うのは当たり前だが、正しく怖がって対策をしなければいけないというのは、初めての緊急事態宣言が発出された頃に言われていたはずだ。新型コロナウイルスに感染した人に対しての誹謗中傷や差別はあってはならないと言われ始めたのもこの頃だった。でも、新型コロナウイルスを漠然とでしか怖がれないため「とりあえず東京五輪は中止にしろ」という漠然とした意見しか投げられないのではないかと思う。「東京五輪をするのなら、国民に自粛を求めないで欲しい」という声もあった。確かに言いたいことは分かる。小中高生の学校行事がなくなったり、大学生の授業がオンライン授業になったりと理不尽に思うのは大いに理解できる。だからと言って、国立競技場近辺で密になって居座ったり、マラソン選手を沿道で応援したりしても良いわけではない。「東京五輪は家で楽しもう」と言われていた。どのチャンネルも連日オリンピックが流れていた。自分は画面越しで十分楽しめた。もちろん無観客であるのは辛かったが、たくさんの感動をもらうことができた。綺麗事だと言われてしまえばおしまいなのだが、アスリートの皆さんのパフォーマンスからもらったパワーを今度は自分たちが頑張るフィールドで使っていけたらと思う。理不尽なことばかりで東京五輪だけ特別扱いだという声ももちろんあるが、それ以上にアスリートの皆さんがくれたものは非常に大きなものだったと感じている。東京五輪2020でのアスリートの皆さんの活躍は決して忘れてはいけないほどに素晴らしかった。感動と勇気をありがとう。

 

 

人を動かす授業

 「体育の授業がしたい」と一言で言っても、すぐ実現するものではない。用具は?場所は?何に注意する?と問題が絶えない。それに比べて「保健の授業をしよう」となったとしてもそれほど問題はない。なぜなら、体育は人を動かす授業であるからで、保健の授業はそうではないからだ。体育の授業をするとなれば、その授業を展開していく者の危機管理能力が著しく高くなければ授業が成り立っていかない。

 

 生徒が机にじっとしていれば問題ないし、動かなければ怪我もしない。そういう授業は座学の授業だけで、体育の授業はここに当てはまらない。当然、生徒が動き回って移動が多数あるのが体育の授業だからである。でも、自分は体育の授業を甘く見ていた。他の授業との大きな違いを考えたこともなかったし、体育の授業をするのならたくさんの注意を向けていなければならないことにも気づかなかった。想像で指導案を書いていたし、大学での模擬授業での経験を元に授業を作ったが、個人的に0点の授業の仕上がりになってしまった。担当したのは中3の授業だった。「これくらいはできるだろう」「分かってくれるだろう」。この感覚が全てを台無しにしたのだと思っている。中3はもっと言わないと分からないほどに、未熟で危なっかしい。だから、先読みすることが大切なのである。と今なら言える。模擬授業を重ねて来たが、生徒役は大学の同期だし模擬授業はそれ以上でもそれ以下でもなく、ただの模擬授業で生きていない。やはり、生の授業というのは、現段階での中学生や高校生を対象にしたものである。そして、時代は流れる、変わっていく。それは分かっていても3週間しか時間のない中で、目の前にいる生徒にとって最善の授業というのは自分の力不足で見つからなかった。生徒の実態に合った授業ができなかったわけだ。それでも自分の担当クラスの生徒が最終日にくれた色紙には「授業楽しかったです」と書いてくれていた。お世辞でも社交辞令でも何でも嬉しかった。「生徒に喜んでもらえているのなら何でもいいや」と投げやりになった時もあったけど、それだけでは自分自身成長できないと思った。

 

 人を動かすことは実際難しいことである。バスケットボールでキャッチボールをするとなっても、「突き指に気をつけましょう」「指先をボールに向けないようにしましょう」と事細かく指示を出さないと、平気で怪我人が出る。これが体育の授業の現実だ。自分はボールを扱うスポーツをやってきたため、体育の授業で突き指をすることなんてなかったしそんなことはないとどこかで思ってしまっていた。でも、ボールの扱いが苦手な生徒ももちろんいるし、予備知識がない生徒だっている。それを無視して授業をしてしまっていたと思ったら、反省だらけの授業だったと思うのである。生徒主体の生徒たちで考えて楽しんでもらえる授業をしたいと思っているのに、気持ちとは裏腹にみっともない授業をしてしまった。授業をするってただでさえ難しい。そこに生徒を動かすとなると更に難易度は上がる。まだまだ修行は続く。

大学4年間

 大学は義務教育ではない。行っても行かなくてもいい場所である。学びたいことがあるならば行けばいいし、遊びたいのなら行く必要はない。自分は教員になりたいからと大学へ行って教育学を学んでもう4年目になる。大学院へ行くつもりはないため、学生ラストイヤーである。大学で何をして何を求めるかは人それぞれである。大学選びの段階での条件も人によって違う。では、自分は何を大学へ求めていたかというと、とにかく「先生にしてください」ということである。もちろん、自分の努力・意欲が必要不可欠であることは分かっていたし、それなしでは他力本願になるため夢を叶える手助けをしてくれそうな大学を選んだ。苦手克服に貢献してくれたり、興味深いことを新たに教授してくれたりしそうな大学を選ぶことができ、自分が通っている大学の学部生であることに誇りを持っている。

 

 今回はここからが本題で、「大学4年間何をしていたんだ?」と言われた時に、悔しさしかなかった。正直最初に思ったことは「え、いや待ってくれよ」ということだった。何年も会っていなくて大学で何をしているかを話していないのならまだ分かる。でも、定期的に今どんなことをしているかということをその都度その都度伝えていたため、個人的にショックを受けた。それなりに自分も自信があった。大学4年間でたくさんのことを学んだという自負があった。それでも学んだことが生かせなかったと判断されたということは自分が悪いため、そこは反省した。

 

 正直、教員になるためには大学へ行かなければならないということだから大学進学を決めた。でも、大学で学べて良かったと思うことが多いし、大学で学んでいなければ学校で働けたとしても何もできないだろうと思うため大学で学ぶことは必至なのだろうと身をもって感じた。大学へ通わせてくれている両親にも感謝だ。大学4年間はあっという間だった。まだ、3年半弱しか経っていないがそれをとても感じる。だからこそ、やりたいことは全てやるべきだしやらなければいけない。自由な時間が長い人生で見てみると圧倒的に長い。興味のあることに没頭してみることも、新しいことを始められるのも大学生の間が適していると自分は考える。

 

 大学での過ごし方というのも人によって違う。自分は教員になるために必要なことを学ぶということを最優先に考えてきた。この考えが合っているかどうかは分からない。でも、自分なりに考えてやってきた。大学4年間という貴重な時間。有意義に過ごせたと自分では思っている。ボランティアでたくさんの方に喜んでもらえた。家庭教師でたくさんの保護者の皆さんと生徒のみんなに出会えた。経験も積めた。大学4年間、大学へ行って良かったと思えるものになった。

決めつけない

 「どうせ」という言葉ほど冷める言葉はない。「どうせできるんやろ?」と言われると一言多いのではないかと思ってしまう。その逆も然りで、「どうせできない」と決めつけられると燃えるかもしれないが、余計なお世話だと思ってしまう人がほとんどだろう。決めつけないということは非常に大事なことだろうと思っている。

 

 何をするにしても、他人に決めつけられて良い気はしないしそれより何より決めつけて良い権利などない。教育実習中に右アキレス腱断裂という大怪我をして、本来であれば電車で通勤する予定だったのだが、それが不可能になり親に送迎してもらうことになった。社会人として扱われる実習生という立場だったため、送迎してもらっていることに個人的にも心苦しさを抱いていた。他の実習生は自力で通っていたから余計だった。「どうせ送迎してもらっている」と思ったとて、言葉にしないことが重要だと思う。確証がないことを自信満々に言う人がいるのだが、違った場合にどんな顔でどんな言葉を返すつもりなんだといつも驚愕する。決めつけは良くない。

 

 大人はかなり子どもに対して決めつけが多いように思う。でも、教官はそれをしなかった。他の大人と違うと思ったところの1つだ。必ず話を聞いてくれた。決めつけでどんどん話を進めていく大人とは話もしたくないと思ってしまう。事実と違う架空の話が繰り広げられているのに、話ができるわけがない。話にならないのである。対話ができる大人というのはそういった意味で限られているように思う。自分は偉そうなことに小学生の頃から大人に絶望していた。だから、大人になりたくないと日頃から言っていたのかもしれない。決めつけないと分かっているから何でも話すことができたし、聞いてくれる安心感もあった。

 

 教育実習に行ってそれをまた感じることができた。怒るだけで終わらない、指導するだけで終わらない。その後に必ず「今の話聞いてどう思った?」「何か言いたいことある?」と聞いてくれる。自分も言いたいことも思うこともあるため、そこで発言する場合もあるし、教官の言っていることが正しいと思えば「反論はありません」と賛同の意思を伝えるのみである。誰だって意思を伝える場が欲しいはずだ。ちなみに、教官は「行き帰りはどうしてるん?」と聞いてくれた。

 

 決めつけて得をするのは、決めつけた人間だけである。決めつけられた人側からすればたまったものじゃない。話を聞いたり、相手を理解しようとしたりすることをサボる人間は決めつける習性がある。そんなことをしても、決めつけられた人間は損をするだけである。決めつけて良いことなんて一つもないと思っていることが大事だと思う。

 

 

甘えた人生

 「甘やかされている」と言われたことがあるのは、父からだけだ。自分で「甘やかされている」と分かっていたが、目を背けていた。これは甘やかされているのではなく、人に恵まれているということなのだと自分の中で良いように解釈していた。今までずっと家族からも友だちからも先生からも甘やかされて生きてきた。両親には、第1子ということもあってか小さい頃は厳しく育てられた。初めての子育てで両親にとっても親1年生であるため、それは仕方ない。且つ父は教員ということもあり、生活態度にだけは厳しかった。それでも歳を重ねるにつれて怒られることも減り、特に親を厳しいと思うことは減っていった。

 

 きっとこれは悪い癖なのだが、自分にとって「好きな人」しか周りに置かない。一緒にいて楽しいと思える人、気を遣わない人、刺激をもらえる人などがこの自分の言う「好きな人」に含まれる。確かに、この状況は甘えている。自分のことを悪く言ったり、怒ったりする人はほとんどいない。小学1年生から小学6年生までピアノ教室に通っていた。音楽は確かに好きだが、ピアノの練習をするのは本当に嫌だった。毎日5分で良いからピアノに触って欲しいという謎の先生側からの願いで自分は何とかピアノを続けられていた。自分は辞めたかったが、母が絶対に続けされたいということで小学生の間は耐えしのいだ。幼稚園生の頃はリトミックに行っていて、そのリトミックの先生がピアノの生徒を募集していないため、その先生の紹介で自分がその後お世話になるピアノの先生と出会うことになった。リトミックの先生はピアノの生徒には厳しいらしく、実際に自分がお世話になったピアノの先生は真逆で本当に優しい方だった。こんなことを言っては何だが、練習をしていかなくても怒られたことは6年間一度もなかった。教育的には練習をしていっていないのだから、怒られるべきだったのだ。

 

 改めて考えてみると、自分は甘えた人生を歩んできている。そんな意識も認識もなかったが、「認識が甘い」と言われたことがかなり自分では衝撃を受けた。「あ、自分は甘えているんだ」と思うようになった。家族の中でもおじいちゃんもいればおばあちゃんもいて2人とも元気だ。だから、両親が不在の場合でも電車に乗るから駅まで送って欲しいと言えばおじいちゃんが駅まで送ってくれるし、ご飯はおばあちゃんが作ってくれるし自分が苦労することは滅多とない。そういう環境も自分にとっては良くなかったのだろう。でも、この家を出る気はない。これから働く環境で理不尽なことも腑に落ちないようなことも経験して少しは甘えた人生から脱出したいと思っている。

大人になる

 成人と呼ばれるのは、20歳になってからである。これは余談であるが、大学生にとって20歳は大学2年のことを指すため、少しややこしい。成人はしたが、まだ学生という中途半端な感覚に陥る。大学生でない人たちにとっては全く関係のない話であるため、さらっと聞き流して欲しい。

 

 成人になることと大人になることというのは全く別物であるということが、遅ればせながら最近分かった。成人なんて変な話、勝手になれる。ただ生きていればなれる。嫌でも20歳を迎えられる。だから、自分も自然にぼーっとしていても20歳になれた。成人というのはめでたいことであるとされているため、家族に盛大に祝ってもらったし友だちも祝福してくれた。確かに嬉しかったのだが、なぜか自分はモヤモヤしていた。

 

 自分は子どもの頃から「大人になんてなりたくない」と思っていた。働きたくないし、学校に行っていれば、部活を楽しんでいれば最高な毎日を送れる。この日常がずっと続けばいいのにと思っていた。自分の家族を持つこととか、自分が親戚にお年玉を配る姿とかが全く想像できなかった。ちなみにそれは今もそうだ。大人になんてなれないし、なりたくない。とずっと思っていたせいで今大変困っている。大人になる準備を何一つとしてしてきていないからだ。しっかりとツケが回ってきた。もちろんサボればいつか自分に返ってくる。スポーツと同じだ。準備をしていないと痛い目を見ることなんて分かっていたが、大人になることに関してにはずっと背を向けてしまっていた。

 

 では、大人になることってどういうこと何だろうと考えているが、今は全く答えが出ていない。お金を稼げたら大人?人に優しくできたら大人?そんな単純なことではないと自分は思う。自分の短所である、自分のことだけに集中しすぎず、周りへの気配りを忘れないということが大切であるとは思っている。すごく気を遣える子だと自分が思える友だちは山ほどいる。だからこそ、自分が気遣う必要がないと勘違いしてしまっているのではないかと今反省している。自分の周りにいる友だちはとにかく優しい。その優しさに甘えてこの歳までのらりくらり来てしまった。ただの自分の認識の甘さと準備不足である。

 

 大人になるってきっとかなり難しい。特に自分にとっては相当高いハードルであろう。ここ最近はずっと「大人になるって何だ?」ということについて考えている。しかし、一筋縄ではいかないテーマである。だから、周りにいる大人である同級生を思い浮かべて考えることもある。本当にみんなは大人だ。頭が上がらないし、素晴らしい友だちに出会えて誇らしい。自分も友だちにせっかくであれば思って欲しい。だから、大人になっていかなければいけない。何より大人にならないと社会で生きづらくなる。誰の迷惑もかけたくないし、できれば友だちにも家族にも恩師にも貢献したい。だから、大人になる。

勉強よりも大事なこと

 人によって大事にしていることは違う。バランスの食事を毎日続けることが大事だと思う人もいれば、年に1回の小旅行を大事にしている人もいる。それはそれぞれで大事にしてもらえらば良いだけの話だ。だから、今回は自分が大事にしていることについて紹介したいと思う。

 

 小学生の頃に通知表というものがあったと思う。中学生の頃も高校生の頃もあったが、そこに生活態度について評価される欄はなかった。その生活態度で評価される欄に書かれていることが大事だと思っている。例えば、協調性や公平性などである。しかし、自分は小学生の頃は勉強が1番大事なことだと思っていたため、各教科の評価は良い評価をされていたが、生活態度に関してはあまり良い評価がついていなかった。今思えば、最悪な話だと思う。

 

 母のせいにはしたくないが、母は「勉強は今しかできないことだから」「勉強が1番大事」が口癖で、幼少期の頃からそういう考えが植え付けられていた。今でもその母の考えは変わっていない。だから、勉強が大事だと思い込んで勉強も苦じゃないしということで勉強に励んでいた。母からすれば勉強ができない、授業についていけないことがコンプレックスだったみたいだ。でも、反動で自分と妹にたくさん習い事をさせてくれて、自分は楽譜に階名を書かずともピアノが弾けるし、机の下で指を折って計算をしたことなんてない。そこは本当に感謝している。

 

 自分は昔からスポーツが好きな子だった。とにかく家中を走り回って明るくて元気な子どもだった。それでも、母は大きくなるにつれて「スポーツで食べていくなんて無謀。だから、ちゃんと勉強しなければいけない。」と自分に言っていた。自分もそんなことくらい分かっていたが、好きなことは辞められなかった。小学生の頃はサッカーが辞められなかったし、中学生~高校生はソフトボールが辞められなかった。自分も「スポーツは趣味程度」と線引きをしてしまったのも、大袈裟に言えば夢を絶たれるような母の言葉だったように思える。でも、中3でスポーツの道で生きていくと決めた瞬間から「自分はやっていける」という覚悟を持った。証明すれば自分の生き様としては母に認められるかもしれないと思ったのだ。

 

 自分は1+1=2より大事なことがあると思っている。と母に言ったことがあるが、やはり母は勉強が1番大事だと思っているみたいだ。それは人それぞれだから別に良い。しかし、勉強だけをしていて生きていく上で大事なことが欠けている人が多いと感じた中学生の頃から、自分は考えを改めることになった。すれ違った人と目を合わせて挨拶をする、他人を思いやる、時間を守るといったことが大事だと、勉強よりも大事だと思うようになった。

 

 人それぞれ大事にしていることがあるであろうが、それを大事にするという気持ちも大事であると思っている。大事であると思ったことを信じて大事にして、生きていく上での基盤にしていく強さも必要であると感じている。