その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

負け犬の遠吠え

 「結果は出せなかったけどいい勉強になった」と言うのは、完全に結果を出せなかった者の言い訳に過ぎないと思っていた。しかし、それは違うということを今年自分は身をもって感じることができた。確かに、負け犬の遠吠えにしか他人からすれば聞こえないのだろうと思うのだが、自分がいざ結果を出せなかった側に立ってみると本当に学べたことがたくさんあったと感じられている。

 

 結果を出せなかった時、何かのせいにしたくなる。もちろん自分も自分以外に何か原因があったのではないかと思っていたが、そんなわけはないのである。全て自分に責任がある。いつかのブログでも書いていると思うが、自分は自分にしか原因はないとはっきりと書いてあると思う。しかし、現実をストレートに受け止めることは難しい。何かのせいにしようとしている自分が見苦しくなるというのもひとつある。結果が出なくてしばらく「自分の何が悪かったのか」と分析していた時、自分以外に原因があるのかと考えてみたが本当に人間としての大きさが小さすぎて惨めな気持ちになったため、途中で考えることを辞めた。

 

 何かのせいにするなど、非常に簡単なことである。「自分に非はない」と強情を張って横柄な態度でいたとしても状況は改善されることはないし、また同じ失敗を繰り返すことに繋がるのではないかと考える。結果を受け止めて次はどうすればいいのかと考えることが成長していく過程で必要不可欠なのではないかと思う。今回、自分の場合いくらでも怪我を理由に結果を出せなかったと言える。しかし、そのようなことをしてもただ格好悪いだけである。確かに、怪我をしていての全力を尽くせたと思っているし怪我をしていてできなかったことも正直ある。それでも、120%怪我のせいとも言い切れない。それ以外でも自分ができていなかった、力が足りなかったということが必ずある。自分は大した人間ではない。それを常に忘れてはならない。

 

 負け犬の遠吠えでも何でもいい。自分はこの夏学べたことがたくさんあって、充実していたと心の底から思っている。教育実習で毎日のように怒られたこともそして怪我をしたことも、試験で不合格になったことも全てがいい経験になった。失敗していなくても何かは必ず得られただろうが、成功していれば分からなかったことや味わえなかった感情があったと思っているため、この結果は結果で今年はよかったと受け止めている。言い訳をしているのではない。来年へ繋げるための整理整頓くらいに思っている。