その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

知らなくて当然

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「知らなくて当然」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 誰だって「知らないこと」「分からないもの」は怖いものです。例えば、国内で初めて新型コロナウイルスの感染者が確認されてから約1年強が経ちましたが、見えないウイルスと共存していかなければいけないこの状況を怖いと思っている方がほとんどだと思います。でも、新型コロナウイルスが怖いと言ったって時間は止まってくれませんし、時代も進んでいきます。知らない、分からないということを受け入れた上で行動することが大事になってくると思っています。

 

 まだ見ぬものに対して恐怖を抱くことは、当たり前なのです。もちろん自分もこれから自分にどんな未来が待っているのか分からないので怖いです。でも、「どうなるか分からない」という言い訳は通用しないと思っています。それはなぜか。この答えは一択なのですが、先程からつらつらと書かせていただいている通り、「誰だってこれからのことは分からないから」です。もちろん、占い師の方や未来の読める方を除いてということです。「なぜやってみないの?」「どうなるか分からないから」という会話は本当は成立しないということです。分からなくて当然、知らなくて当然です。自分も、約7年前、教員になることを決め大学受験をすることにしました。そこで、周りの同級生たちと志望する大学も違えば追いかけたい夢も違いました。それに、王道と呼ばれるような人生を自分は歩かないことを決めたので、決めたは良いものの内心とても怖かったです。担任の先生たちも一生懸命サポートしてれましたが、自分は邪道な進路を希望する自分のサポートをしてくれることへの罪悪感の方が勝って、「他の子たちのサポートに回ってあげて欲しい」「もう自分に関してはサポートしようとしてくれる気持ちだけで十分」と思っていました。先生たちや友人たち、家族は、全面協力をしてくれ、邪道だろうが何だろうが関係ないと応援してくれていたので、「ここで自分がどうなるか分からないからといって負けてたまるか」という気持ちに一気に変わりました。きっと自分の第一志望である大学に奇跡的に合格しても、自分の能力と見合わせてみて入学後からは大変な4年間が待っているだろうと予想していました。確かに、それなりにしんどかったこともあったけど、「どうなるか分からないから」という言い訳をせずに今の選択ができて良かったと思っています。

 

 何をするにしても先のことは読めないものです。それなのに「どうなるか分からない」という言い訳1つでたくさんの可能性が潰されるのはもったいないと思いませんか。「どうなるか分からないけど、やってみる」ということを若い頃から徹底しておかないと、挑戦心が失われてしまうと思います。「知らなくて当然」というところからスタートして物事を考える癖をつけてみてください。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「失敗することに対して怒らない」を予定しております。ではまた次回。