その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

答えは言わずにヒントを与える

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「答えは言わずにヒントを与える」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 答えを知りたいのであれば、自身の足を使って答えを掴みにいかなければならないという話を以前のブログに書いたことがあったかと思います。そのためには、自身の頭をフル回転させて答えにたどり着くことを習慣づけるべきであることも書きました。そして、自身の頭をフル回転させたた結果答えにたどり着かない場合には他人を頼っても良いと思います。でも、その頼った時も答えを教えてもらうのではなく、ヒントをもらうべきだと思います。

 

 アルバイトで家庭教師をさせていただいています。もちろん分からないことがあって生徒に質問を受けることがあります。でも、絶対に答えは教えないようにしています。答えが出るまでの道のりを考えて、ヒントを複数出す方法を徹底しています。逆に言えば、ヒントは限りなく生徒が自身で答えを出せるまで与えています。答えが分かってしまったら自身の頭で考えることをしなくなってしまうことは丸分かりです。答えを出すまでを大事にしたいと思っているので、自分の生徒にもそれを分かって欲しいと思っているわけです。そして、ここで気をつけなければいけないのは、答えがなかなか分からないとなったとしても怒るのではなく、根気強くヒントを与えるようにすることです。答えを出すことではなく、ヒントを基に考えることに重点を置かなければいけないと思います。高校生の頃、中学生の後輩もいてありがたいことにこんな自分に「バッティングのここはどうすれば良いですか?」「こういう打球を打ちたいので、教えてください!」と声をかけてくれました。そこで「こうすれば良い」と言ってしまうのは簡単です。でも、後輩にも考えてもらって理想のバッティングを後輩自身のものにして欲しいと思っていたのでずっとヒントを出し続けていました。後輩の「先輩の言いたかったことが分かりました!」と言わんばかりの表情が自分のやり方は間違っていなかったと思えました。

 

 何事もそうですが、自身で考えたことというのはずっと自身の中に印象に残っているものです。親に買い与えてもらったものより自身の稼いだお金で買ったものの方が、無意識だと思いますが、大事に使っていませんか。それと同じことで、与えられた答えは印象に残らないですが、「自身で考えた」というのが1つ乗っかるとそれだけで自身のものになっていくと思います。だから、「考える」「考えさせる」というのはとても大事なので、ヒントはいくらでも出しても良いけど答えを直接的に与えないべきではないのでしょうか。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「本気でぶつかれば子どもも応えてくれる」を予定しております。ではまた次回。