その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

腐っていたあの頃

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「腐っていたあの頃」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 今日は自分の情けない過去についてお話したいと思います。恩師と出会ったターニングポイント以降のことはこのブログにもよく書かせていただいていますが、その直前の頃が自分史上最高に腐っていたのですが、あまりよくお話していないと思いますので興味のある方はぜひ読んでいただきたいと思います。

 

 自分は中学受験をして、私立の中学校へ入学をしました。これはあくまでも自分の意志です。小学3年生の頃に医者になりたいという夢を抱き、小学4年生で地元の荒れた中学校へ行きたくないというのとレベルの高い勉強をしたいという2つの理由を主に地元から離れた私立の中学校へ通いたいと思うようになり、両親に伝えました。両親は決して裕福ではないけど、自分の夢を応援してくれ中学校から学費が必要なことを受け入れ、月謝の高い塾へ通わせてくれることを決意してくれました。このように両親の協力も全面に受けて、見事合格することができました。そして、念願だった中学校への入学が決まり、ワクワク且つドキドキしていました。過去のブログでも書いたと思うのですが、入学後初めての定期試験の結果を見て、心が折れました。小学生の頃は学校の勉強に対してある程度自自信があって、そのまま中学校へ入学しましたが、そんな甘い世界ではなかったわけです。自分なんかより勉強ができる友人がたくさんいました。その瞬間に方向転換すべきだと即座に思いました。そこから勉強から勝手に卒業し、部活に明け暮れる毎日を過ごしていました。でも、決してこのままで良いと思っていたわけではありません。母には「勉強しなさい。何にもならない部活は辞めなさい」と毎日のように言われていました。自分は反抗期もなかったので、親のことが嫌いだという時期がありませんでした。自分のやりたい新たなことに没頭したい自分と親の期待に応えたい自分がいてずっと暗闇にいるような感覚でした。そのまま中学2年生を経て中学3年生を迎え、恩師と出会いました。それから自分の世界はパッと明るくなりましたが、中学3年生の秋頃に母がパートを始めたことによって自分のメンタルが安定しなくなっていきます。後に書いている話は先に言っておきますが、母は全く悪くないのに自分が1人で決めつけてしまい自爆していたという話です。そもそも自分は人一倍寂しがりやです。専業主婦だった母が午前中だけで自分が学校に行っている間にパートで出かけるようになった母を見てやはり母が働きに出るのは反対だと思っていました。でも、それはなぜ働きに出るようになったかというと、自分の学費や妹の塾の月謝を払うために父の稼ぎを助けようということになったからです。つまり、自分のために働いてくれることになったのです。それなのに図々しく専業主婦じゃなくなった母は「自分のことをちゃんと見てくれていないのではないか」と勝手に思ってしまっていました。母に常に気にかけてもらいたいのに母が最も期待している勉強は勝手に卒業してしまったし、部活は絶対に続けたいと思っていました。目標も自分も見失った当時の自分は腐っていたと思っています。母から見捨てられる怖さもありました。結果、全て自業自得です。

 

 なぜこのようなお話を書かせていただいたかというと、誰にだってこういった時期はあるということを伝えたかったからです。その時期から抜け出したいと思っていたら恩師と出会えたので、自分は本当に恵まれていると思っています。恩師と出会って、また新たな目標や夢を見つけることができました。それが腐っていた時期を脱出できた1番のきっかけだったと思います。母も専業主婦をしていた頃と何も変わらず、気にかけてくれていました。新たな夢を打ち明けた時、心配と不安でいっぱいだったと思いますが、今も応援をしていくれて見守ってくれていて本当に感謝しかないです。今思えば腐っていた時期も自分のことを成長させてくれたかもしれないと思うと、必要不可欠なものかもしれません。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「退かない努力を」を予定しております。ではまた次回。