その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

反面教師

  皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「反面教師」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 人間は日々いろんな人間と関わりを持って生きているということを過去にブログで書いたかと思うのですが、その中でも「参考にしたい」「尊敬する」という人と出会うこともあれば、逆に「こんな人にはなりたくない」「あの人は尊敬できない」という人と出会うこともあるかと思います。「好き」か「嫌い」かという単純なことではなく、言葉を選ばないとなら「人間としてガッカリする」ということです。自分もこれまでにたくさんの人と出会ってきましたが、その中でももちろん「ああいう風にだけはなりたくない」と思う人が数人いました。その数人というのは、過去に1度だけすれ違った人や関係性が全くないという人ではなく、ある程度の関係性があったり関わらなければならない人であったりということです。

 

 いくつかありますが、まずは「伝え方が下手な人」にはなりたくないと思っています。言っていることは分かるけど、こちらがいくつか補足してやっと伝えたいことが分かるような話し方をする人に出会ったことがあります。その人とは3年の付き合いで、関わらざるを得なかった人でした。言い方がキツく常に攻撃的で印象がとてつもなく悪いので、「黙っていれば何も周りの人間に不快感を与えないけど、話せば損をする人だ」と思っていました。自分の周りの人間もその人に対して不快感を与えられる度に、ため息をつくほどストレスに感じていました。「あなたたちが分かるように成長しなさい」といったスタンスの話し方なので、自分は「この人みたくはなりたくない」と思っていました。そして、「気分屋にはなりたくない」と思っています。その時の感情次第で周りの人間に迷惑をかけたくないと思っています。特に、喜怒哀楽で言うと「怒」です。自分がこう思うようになったきっかけである人に、その時その時の機嫌を自分たちがうかがって気を遣っていました。正直しんどかったし、「自分たちにあなたの機嫌は関係ない」と思っていました。自分の機嫌や状態に関係なく、メリハリをつけて誰に対しても同じように接したいと思うようになりました。

 

 反面教師は悪い存在だと思う反面、良い存在だと思います。というのも、反面教師となる存在から「こうはなりたくない」と思わされることはありがたいことなのかもしれないと思うからです。「こうなりたい」という理想も「こうはなりたくない」という反面教師も大事にしていかなければならないのではないでしょうか。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「想像力」を予定しております。ではまた次回。