その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

今「も」大切にしたい

 将来を常に意識して、普段の行動を考えるタイプ。一般的に意識が高いと言われるタイプの人間。全く意識が高いわけではなく、心配性なだけ。だから、「将来のために」という言葉にべらぼう弱い。「じゃあやっとこうかな」ってすぐにコロッといかれてしまう。でも、最近は「今」という瞬間を大事にしたい気持ちが強い。

 

 大学生の時、ソフトを続けたかったが、「絶対に先生になりたいから、そのことだけを考える4年間にする」と決めて余計なことは一切しないことにした。しかし、そう甘くはなく簡単にはいかなかった。「ソフトを続けていたら、また違う人生を歩んでいたのかな…」と思ったりもするが、後悔はしていない。自分で決めたことだから。

 

 「今なんて将来の通過点にしか過ぎない」なんて随分と偉そうなことを言っていた時期もあった。でも、その考えている将来はいずれまた通過点にしか過ぎないことを浅はかな考えをしている自分は気づかなかった。いつだって、通過点ということを忘れてはいけないと思うようになった。

 

 たった1、2年前からだが「今」を大切にしようと思い始めた。「今」という時間は、「今」しかないということを今更気づいた。でも、将来のことを全く考えないというわけではない。将来に興味を持たなくなったというわけでもない。「将来」と「今」への重きの比重をトントンにしたという感じ。

 

 今自分がいる環境は非常に恵まれている。何の申し分もない。地元に戻れば、この環境を失う。天秤にかけると、どちらを取るとも言えないくらい迷う。そもそも元を辿れば、「早く地元に帰りたい」という気持ちが勝るくらいにしんどいことや辛いことがあると思い、苦渋の決断で、地元を出た。しかし、地元でも得られないかもしれない素敵な出会いも巡り合わせてもらった。ここは、自分の将来設計ミスと言えるポイントである(笑)人生何があるか分からない。だから、おもしろい。だから今は、楽しい今のこの環境を捨てる勇気なんて自分にはない。いずれ地元に帰られるのだから、今はたまたま巡り会えた素敵な人たちと一緒に仕事をしたい。地元に帰りたい気持ちは少し薄れている。もちろん家族と暮らしたいことや慣れた地元という土地で頑張りたい気持ちもある。でも、働かせてもらえる場所があって尊敬できる人たちと時間を共有できるのなら、まだ帰るのは先でいいのではいいかななんて考えている。

 

 今を楽しむ。今を笑って過ごす。こんなことが、素敵な将来を作っていくかもしれないなんて思っても見なかった。

何度目の失敗か

 失敗と呼びたくない。でも、世間的には失敗と呼ぶのだろう。そう、三度目の試験に落ちたのだ。正直、今年は手応えがあったため、ショックだった。でも、今まで結果が出てから泣いたのは、最初に受けた年だけだったなあ。現役合格かそうでないかで判断しているからかもしれない。

 

 「これでもアカンかあ」。冷静になってそう思った。惜しくも敗れたという感じだった。感触は間違っていなかったのかもしれない。それでも不合格は不合格だ。「何があるか分からない試験だ」という母の言葉が、最も刺さった今年となった。自分の認識が甘く、どこかそうでないと思っていたところがあったのだろう。

 

 これの嫌なことは、応援して支えて気にかけてくれた人たちに「すみません。今年もダメでした」と報告する瞬間。どんな返事をしたらいいのか分からないだろうなと、気を遣うだろうなと思うから、本当に胸が痛い。

 

 ありがたいことに、こんな自分に期待をしてくださる方が多くいらっしゃる。「絶対大丈夫」「合格させへんなんておかしい」とまでに言ってくださる。嘘でも社交辞令でもこの励ましは、自分にとっては力になっている。

 

 自分は、仕事で結果を出したい。今、熱中できるものは仕事。だから、試験に受かりたい。やっぱりかっこいいんだよ。先生方の背中。学年の中でも圧倒的に後輩のポジションにいるから、余計に思う。肩書関係なく素敵な先生は多いけど、間近で見せていただいている先輩の背中はやっぱりかっこいい。「あんな先輩たちみたいに活躍できる先生になりたい」と目標が増えた。

 

 今年も残念な結果に終わってしまった。周りの人たちに申し訳ないことをしたという自覚もある。「何度同じことをすれば気が済むのか」と自分でも思う。でも、それだけ何があるか分からない試験ということも学べた。時代も変わり、教員不足が謳われているこの時代に受からないことは、余計に先生として力が足りていないという感覚を後押しして自信がなくなっていく一方。子どもたちにも「こんな先生でごめん」という気持ちがある。

 

 でも、自分は挑戦を諦めない。自分で決めた人生だ。子どもに普段から「自分で決めた道なら、必死こいてやるんだ」と言っているのだから、自分も当然やっていかなければいけないし、やりたいのだ。やりたいことをさせてもらってきた環境、そして周りの人たちに感謝の気持ちを忘れずに進んでいく。

2023年9月を振り返って

 遂に2学期が始まった。短い夏休みだった。「去年もこんな感じだったかなあ〜」と思ったりもしたけど、何にも思い出せなかった。きっと去年もこんな感じ。7月の末は、技能検定の練習で受験者の子どもたちとは、毎日のように会っていた。それが終わってからは、自主登校してくる子どもたちとは会えたが、それ以外は何をしているかすら分からなかった。自主登校してくる子どもたちには、「誰と連絡取ってるの?」と聞いたりしていた。なんだかんだで、お盆が来てあっという間に、夏休みは終わってしまった。

 

 それから9月が来て、始業式を迎え授業もすぐに始まってしまった。子どもたちは、元気に全員揃って登校。まだ、「夏休みボケ」のような子どももチラホラいた。これに関しては、大人も同じような気もするが(笑)

 

 2学期に入ってから、大きな事件はないが相手のことを考えずに発言して傷つけたり、イマイチスイッチが入らずパッとしなかったり、、、と何もなかったわけではない。子どもという人間も学校という場所も何かあるのが当たり前だ。1年生の2学期。自分もどんな暮らしをしていただろう。相変わらず部活に熱中していた。大学に進学することを決めていたからできた暮らしである。しかし、あの子たちは違う。卒業したら、働かなければいけない。あと2年半で成人し、一人前の社会人として扱われる。そして、仕事を持つようになる。それまであと2年半しかないなんて、気が焦る。と思っているのも、大人だけである。2学期が始まり、ギアを上げなければいけないと思えているのは、きっと数人だ。

 

 9月は、個人懇談があった。保護者とも進路について話すことができた。保護者も、理解できている人と何となく分かっている人と、全く分かっていない人など様々である。きちんと方向性が決まっている家庭は、何も言うことなし。目標が明確にある子どもは、しっかりと学校生活を頑張れている。学校生活でやっていることをバカにしているような子どもは、やはり現状が分かっていないし将来を見据えていない。見通しを持つって難しい。「どうしてあげたらいんだろう」と思う毎日である。

 

 とにかく1年で一番長い2学期である。行事もたくさんあり、いいことも悪いことも目まぐるしく起こるだろう。夏から冬へ。その都度その都度、学年の先生方と考えて子どもと真剣に向き合っていきたいと思う。まずは、体育大会がある。短い時間だが練習してきたことを発揮できるように子どもたちの勇姿を見守りたい。

「センスがある人」と「センスがない人」の考え方の違い

 センス。憧れるのよなあ。センスって産まれ持ったものだから、この先自分が手に入れる瞬間はずっと来ない。いくら待っても。だからこそ尊くて羨ましくなるものなのかなあ。何に関してもセンスを持ってせず産まれてきてしまったことは、中学生の頃から気づき始めた。小学生の頃は、そんなこと思っていなかった。なぜか、センスがあると思って生きていた。全くもってそんなことないのに。今思えば、そんなわけもないのに。

 

 昨日、母校に帰ってソフトの指導をしてきた。指導とは言え、一緒に練習をしただけだ。自分もソフトが好きなんだなあと思う。誰一人一緒にプレーをしたことのある子がいるわけではない。それでも、一緒に練習していると楽しいのだ。

 8歳下の子がレフトでプレーすることがあるというのだ。元々内野手で、入部してから外野の動きを意識したことがないようだ。しかし、合同でチームを組むようになりポジションがレフトになったそうだ。課題は、ボールに対しての一歩目。顧問に「極意を教えてやってくれ」と言われた。極意なんて大袈裟だし、自分は内野手で外野手だったのは中2までだ。ただ、外野手の守備練習の方が断然好きで楽しかった。外野でソフト人生を終えてたら悔いなく終われていたかもしれない。まあ、そんなタラレバな話をしても仕方がない。昨日も、外野ノックを受けた。久々でとても楽しかった。

 

 「動きが省エネなんだよな~」と顧問は後輩のことについて言っていた。自分は、一瞬で気づいた。サボりたいとかしんどいからとかそれだけの理由じゃない。自分自身の能力と守備の感覚のバランスの取り方を知っているのだ。自分は6年間ソフトをしてきて、そんな瞬間に出会えた試しがない。確かに、省エネだったけどほとんどのボールは涼しい顔をして捕っている。その時思った。「自分自身のセンスに気づいているな」と。我武者羅に走ってボールを追いかけたり、捕れなくて悔しがったりするのはセンスがない者の方なのだ。センスがない人は、省エネで動くということを知らない。そんなことをする勇気すらない。だから、必死に動く。その分動きも大きくなる。一方、センスのある人は、上手く手を抜く。サボり方を知っている。聞こえは悪いが、それだけ器用なのだ。器用な分、上手く照準を合わせてくる。何とも羨ましい。

 

 センスがない分、人一倍しんどい思いをしているかもしれない。「これだけやってるのに、なぜ上手くなれない!」と思う頻度も高いかもしれない。それでも、自分のプレースタイルはこれでいいと思ってやっていたし、それ以外の道はなかった。それでいいと思ってるし。まあ、こんなことを言ってられるのも今は自己肯定感が低すぎないから言ってられることではあるけど(笑)

人との巡り合わせ

 人との出会いは大事にしたい。本当に自分は、才能がない。ただ、運があり人には恵まれてきた。「そういう人ってその人自身がいい人だからだ」と書いてあるコラムをいつか読んだことがあった。が、しかしそんなわけがない。常識がなくこんな無礼者に誰が助けの手を差し伸べてくれるのだ。神様がそんな助け手になってくれるはずもない。そんな甘い世界があるわけがない。でも、自分は本当に人にとても恵まれている。

 

 振り返れば、幼稚園の頃から。いや、もっと遡れば家族からだ。祖父がいて祖母がいて父がいて母がいて妹がいて。産まれた時から、愛して育ててもらった。もちろん一緒に住んでいるからこそ、腹を立てることもムカつくこともあったけど、それでも大好きな家族だ。家族に愛してもらえない子どもや好きなように生きていかれない子どもがいることを知ってから、余計に感謝が止まらなくなった。

 幼稚園。自分は幼稚園が嫌いだった。理由は、「ママと離れたくないから」。愛される家庭で育ててもらえた証拠でもある。とにかく、幼稚園に行きたくなかったのだ。毎日園門の前で園舎に泣きじゃくって入れなかったあの頃が懐かしい。それでも段々慣れてきて、幼稚園に安定して登園できるようになった。年長の時の担任の先生が優しくて大好きだった。行事の全体集合写真なんかでは、その先生の隣にピッタリくっついて自分がいることがほとんど。それだけ、自分の幼稚園での心の拠り所になってくれていた存在だったのだろう。卒園式で先生と離れる時、泣いたような気もする。

 

 小学校。サッカーをしていた頃の話。自分は、主人公になりたい欲があった。漠然とした主人公というのは、今になれば何のことやら分からないが(笑)だから、ポジションもFWに憧れていた。「点取り屋」になりたかったのだ。でも、実際のポジションはDF。守りに徹するポジションである。「それの何がかっこいいんだ」「みんな点取り屋になりたくてサッカーを始めたんだろ」とにまで思っていた。今思えば、その考え方がカッコ悪いのだが。しかし、自分はこのタイミングでそれぞれのポジションの役割と見せ場があることを知るのだ。卒団式で、サッカーボールの記念品をもらった。そこにコーチから書かれていた言葉が、「明日に向かってパスを出せ」だった。とても感動して、あまり目立たないDFのポジションに魅力を感じられた、やってきて良かったと思えた瞬間だった。とても厳しいコーチだったけど、自分が向いていると思ってポジションを決めてくれていたことや任せたいと思ってくれていたことを知って、DFとして縁の下の力持ち的な位置でサッカーを続けられて良かったと思えた。コーチに感謝している。

 

 中学校、高校。中学受験をして中高一貫校に進学した。生きていく上で何を大事にしていくべきかを見失っている時に出会ったのが、のちにいろいろとゴタゴタあった中3の時の担任である。どこかでプレッシャーになっていた母からの「勉強が一番人生において大事」という考え方がずっと心にあったが、担任は「勉強が全てではない」と教えてくれた。冷静に考えると、挨拶ができることや真面目であること、素直であることなどの方が大事であるということが分かっていった。やはり教師になるきっかけとなった人でもあるし感謝している。

 

 大学。教師になるためだけに、大学へ進学することを決めた。自称進学校ということで大学へ行かないなんて言っていたら、大人たちは非難轟々だったのだろうなとたまに思ったりする。大学で3年からゼミというものが始まった。これまでの講義を受けてきて、教授を選び研究したことができそうなゼミを選ぶ。研究したいことは、あまり考えず自分が感銘を受けた教授のゼミへ入った。定員オーバーだったが、入ることができた。自分が受けてきた教育の幅を持たせてくれた教授にはたくさんの学びをもらえた。今の自分の教育観を作ってくれた一人でもある。感謝している。そして、自分の恩人である特別支援学校での教育実習で出会った指導教官である。今でも付き合わせていただき、たくさんの学びをもらっている。決して偉そうにしないで、新しいものを吸収して子どもと真正面から向き合うところが本当に好きだ。自分の人生の進むべき方向を示してくれた恩人。大感謝である。

 

 そして、社会人。去年が社会人1年目で、たくさんの不安を抱えながら再び初めての地で一人暮らしを再開し、新生活が始まった。こうなったのも、どこからか自分を見つけて直々に連絡をしてくれた人のおかげだ。去年退職されたため、もうお会いすることはきっとできない。でも、ずっと感謝の気持ちを持っている。こんないいご縁に恵まれたのだから。仕事は環境と人間関係が命だと聞いたことがあるし、実際に働いてみてそう思う。去年、学年主任から手取り足取りたくさんのことを教えてもらって、相担の先生とは毎日笑ったり悩んだりしながら学級経営ができたし、1年目の危うい後輩を表情一つ変えずに常に優しくフォローしてくれた。それがありがたかったし、たくさんの恵みをいただいた。迷惑をかけようともヘマをしようとも一切責めずにカバーしてくれた。こんな後輩に優しい先輩がいるのかと、ありがたい1年目を過ごせていると感じていた。今でもたまに飲みに行かせてもらっていて、別の学校になっても関係が続いていることが非常に嬉しい。そして、2年目の今年。学校全体も先生方の異動が激しく雰囲気がガラリと変わり、学年団ももちろん変わり担任する学年も変わった。また新たな緊張があったが、そんな心配無用なほどに楽しくおもしろい学年となっている。自分が地元に留まっていたらと思うと、このご縁はなかったわけで人との巡り合わせは分からないもので、かなりその人の人生に影響を及ぼす。こんな笑って過ごせる毎日を送っていいのかと思うほどに、恵まれていると感じる。こんな学年団になれるなんて思っていなかったし、誰も思っていなかっただろう。本当に嬉しいことだ。

 

 ご縁は大事にしたいと思うようになった。自分はいい縁に恵まれているからこそ、思えることなのかもしれない。でも、自分をここまで導いてくれた全ての縁に感謝したい。こんなに何も能力もセンスもない人間に降り注ぐいい人との巡り合わせなんてあっていいものか。感謝して自分のできることを着々とやるんだ。

 

人と比べないなんてできっこない?

 1ヶ月前に「人と比べない」ことの重要性みたいなことを記事を書いて投稿した。でも、「それって意外と無茶なことなのでは?」と今自分らしくもないポジティブなことを考えていて、流れのままにデスクトップの前にいる。だから、いつも以上に文章は下手くそだ。

 

 人と比べないなんて綺麗事なのかもしれない。誰だって、少しは他人と比べて一喜一憂しているのではないのか。今学校は夏休み。もう始まっている学校さんには悪いが、うちの勤務校はまだ夏休み中。そんな中で先生たちもお勉強の時間がある。研修という名の。カウンセリングの内容だったのだが、過小評価するのは良くないという話が少しあった。研修が終わってから、先輩の先生が「私はこれに当てはまりますね〜」と明るく話していた。自分の15歳以上も年上の先輩だ。仕事もできて子どもも立派に育てておられる。自分の尊敬する先生のうちの一人だ。でも、その先輩をもが人と比べて自分自身はダメな人間なんだと思う瞬間があるなんて思ってもみなかったから、一瞬驚いた。自分なんかよりいろんな経験を積んで生きて来られた方でも人と比べて生きている。それが悪いとも思わず、それが自然の摂理と言わんばかりに堂々と生きておられる。何かカッコいい。そのままの自分自身を受け入れて生きているのだ、きっと。でもそれができるのは自分のような年齢ではまだ無理なのかもしれない。だから、これまで気づけなかった。

 

 人と比べないことより、人間は人と比ベて生きてしまう生き物であることを理解して認めて、生きていくことの方が何より大事な気がする。人と比べて人を見下したり、自分を卑下するのは良くないってことは分かっているし、当然のことだ。でも、他人や一般論に目を向けることはいいのではないかと感じ始めた。「人と比べないでおこう」と考えることがそもそもしんどいのではないかとも思うのである。ものは考えようだなと思った今日であった。

 

 どこかで人間、人と比べて気持ちが上がったり下がったりしている。知らない間にとか意識してないけどとか、様々だけど人と比べていない人間なんてきっといないと思っている。今は。今はね。

現状に感謝する

 試験も終わり、読書する時間ができた。読みたかった本たちもどんどんこれから読み進めていくが、ちょうど昨日読み終わった本の感想を書いていこうと思う。短く言えば、「小さな感謝」が大事であるということが書かれていた。

 

 自分は、感謝の気持ちを大事にしている。こんなこといちいちこんなところで公表するなんてことはしないし恥ずかしいが、今日は全て包み隠さずに話したい。

 

 恥ずかしいことだが、自分は周りの人たちに支えられて生きてきた。その自信しかない。何もできないし、特にこれと言って自慢できるようなものもない。自分でもここまで生きてこられたことが奇跡でしかないと思っているほどだ。だからこそなのかもしれないが、周りの人たちへの感謝の気持ちが人一倍ある。「人は一人では生きていけない」ことを大変理解しているつもりだ。

 

 大して生きていく上で役に立つような能力がない。そこを周りに助けてもらってやっと生かされていると思っている。昨日読み終わった本には、「我々は神様に生かされている」と言うようなことも書かれていた。自分は、名前の漢字にしめすへんが入っている。「困った時に神様に助けてもらえるように」という意味を込めて名付けられた。神様という見えない存在に生かされているということが、本を読んで再確認できた。

 

 生きているといろいろなことが起こる。楽しいこと、嬉しいこと、悲しいこと、悔しいこと…。泣いたり怒ったりしたいことももちろんある中で、常に感謝するということは正直難しい。それでも、感謝の気持ちは常に持っていなければいけないと思うのである。そして、昨日読み終わった本にも書いてあったように、小さな感謝を大事にしなければいけない。

 

 自分の周りの人は、躊躇いなく「ありがとう」と言ってくれる人が多い。その状況がまずありがたい。感謝の気持ちはすぐ伝えることやいくら小さなことでも伝えることなど、本に書いてあった人間関係が上手くいくコツとして書かれていたことができているか振り返ってみた。社会人になって、大人の人たちと飲みに行くことが圧倒的に増えた。家に着いてからもしくは帰っている途中に必ず、一緒に飲んでくれた人にありがとうLINEを送る。距離の近い人なら、無事に帰れたかどうかも確認する。こんなこと当たり前なことだと思っていたが、非常に大事なことのようだ。続けていきたいと思う。

 

 また、感謝されることが原動力になっている人というのが、どうしたっている。言い換えれば「見返りを求める」ということだ。かなり前に書いた記事に見返りを求めることは云々かんぬんということを書いた記憶があるが、きっとその時と考えは変わっていない。見返りを求めて、感謝されることを期待して行動するのは、承認欲求が丸出しで心に余裕がない人だと自分は思っている。感謝というのは、自然にしてされるものだと考える。

 

 そもそも生きていることや、食べられること、ふかふかの布団で寝られること、仕事があること、家族が元気で仲がいいこと、一緒に学んで考えてくれる友だちがいること…。当たり前のことのように思えて、一歩外の世界を見てみると当たり前なんてことは全くありえないことがきっと分かる。嫌なことがあっても、少し心を落ち着かせて他のことに目を向けてみて、恵まれていることが感じられると、かなり生きている今に感謝できるタイミングが増えるのではないかと思う。「ありがとう」は魔法の言葉である。