その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

成功者にしかフォーカスしていないのでは?

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「成功者にしかフォーカスしていないのでは?」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 「あの人だからできる」「この人だから成功した」と言ったことや思ったことはありませんか。自分も小学生の低学年くらいまではそう思っていたし、会話の中でそう発言していました。でも、その考えはこれと言ったきっかけはなかったのですが、180度変わりましたので、お話させてください。能力も違うし経験も違うので、人間誰1人として同じ人間はいません。だからこそまだ何も成し遂げられていない者は成功者を見て、「育った環境が良かったんだ」「生まれつきの才能が違うんだ」といったことを言います。それは単なる言い訳です。能力も経験も違うから完全にその言い訳が違うとは言えませんが、完全にそうであるとも言えないと思いませんか。何%かの可能性を信じてみることもせずに「成功者は成功者、自身は自身で違う世界の人間だから」といってそんな割り切り方で後悔しませんか。

 

 成功者ってキラキラしている印象が自分はあります。好きなことをやっていて夢を叶えて上を見続けているからだと思っています。その輝いて生き生きしている成功者を指をくわえて見ているだけでは、自分は納得がいかないと思うようになりました。先程言った通り、特にこれと言ったきっかけはありません。ふと「成功者になりたい」と思った。ただそれだけなのです。そもそも、成功者のことを自身とは別次元の人だと線引きをしている人の特徴として、「成功者にしかフォーカスしていていない」ということがあるのかもしれないと感じています。どういうことかと言うと、成功者だって生まれた瞬間から成功者なわけではないということです。スタートラインは同じであるということが言いたいのです。確かに能力も経験も育った環境も違いますが、必ず「成功者になろうとした」というのがあると思っています。成功者に自然となっていたなんてことはないでしょう。ということは、必然的に努力はつきものなのです。誰だって初めは挑戦者で成功者になっていくわけで、途中で失敗も挫折も経験しているはずですから、自分は成功者になることを諦める必要は一切ないと思うようになりました。

 

 成功者を見て、「すごい」と思うことは大いに結構ですが、そこで自身にはできないと可能性を潰してしまうのはできればしない方が良いのではないかと思うのです。成功者だってノーミスで成功をしているなんてことはありません。それなら、「誰だって成功者になれるかもしれない」とポジティブに考えることだって的外れなことではないと思うのです。挑戦者から成功者になるには長い年月が必要かもしれませんし、ありえない量の努力が不可欠です。それでも、高みを目指して自分は成功者になりたいです。成功者になりたいという方は、共に頑張っていきましょう。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「できるではなくである」を予定しております。ではまた次回。