その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

不登校

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「不登校」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 自分自身そこまで何人もの不登校で毎日学校を休んでいるという状態のクラスメイトを見てきたというわけではありません。小学生の頃は自分が教員になりたいと思い生きていなかったし単純に「学校は楽しい場所なのに何で来ないんだろう」とか「学校に来ていないその子じゃなくて親に責任があるし、学校に子どもを行かせることもできない親なんて正直何をしているんだろう」と思っていました。今は、昔と違って学校へ行くこと以外に楽しいことが広がっているし、むしろ学校へ行くことが煩わしい、面倒臭いと感じてしまう世の中であることも事実です。それだけ学校は軽視される存在になってしまっているのだと思います。昔は学校へ行きたくても行けない子どもが多い時代でした。それが今や小学校・中学校の9年間は義務教育として国が定めており、更に学歴社会ということもあり学校へ行くことにありがたみを感じて学校へ通っている子どもは少ないと思います。自分も小学生の頃は親に感謝することも無く淡々と学校へ通っていました。中学生になり、私学へ通わせてもらっているという自覚が湧いてきて初めて「学校に通わせてくれてありがとう」という気持ちが芽生えました。しかしそれは、私学であるため学費がかかる、通学費もかかるといった金銭面でのことで思ったことであり、昔の歴史を考えてのことではありませんでした。

 

 でも、今は昔ではありません。時代が変わればその時代を生きる人間ももちろん変わります。なので、もし学校へ行きたくないのなら行かなくても良いと思います。そして、昔と違う環境であること以外に「学校は楽しい場所だ」と感じられないのならそれは、学校側の責任でもあると今は思っています。「勉強なら塾でできる」と言う生徒がいます。1人で勉強するだけならそうだと思います。しかし、勉強以外に学べることがあるから学校はあります。「集団で生活をすること」が最も大事なことだと思っています。その中で学ぶものがたくさんあります。

 

 もちろん学校へは行くべきです。でも、義務教育であっても強制できない不思議な時代です。どれだけ学校の存在が小さくなってきているかが分かります。でも先程も言った通り、自分は行きたくないのなら無理をして行かなくても良いのではないかと思っています。でも教員を目指している人間としては難しい問題です。「無理しなくても」と言っても「来て欲しい」という気持ちは捨てきれません。「学校なんて…」と言われないためにも、「学校は素敵な場所なんだ」「面倒くさがって来るような場所じゃない」ということを伝えられる教員になりたいと思っています。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「共に腐らず生きていきませんか?」を予定しております。ではまた次回。