その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

勉強はおもしろい

 学校で習う国語、数学、理科、社会、英語のようなことだけが勉強とは言えないと年齢を重ねるごとに思い始めた。大学に進学すれば、その勉強と呼ばれる幅は圧倒的に広くなることも感じていた。経済学、国際政治、スポーツ医学なんて教科は高校までに出会うことは少ないが、高校卒業後学ぶことが可能である。勉強をおもしろいと感じる子どもは全体の1割にも満たないのではないかと自分は思っている。学校へ行って1日5時間~7時間は勉強をしているのに、そう感じてしまうのはもったいないと思う。学校へ行きたくない、面倒くさいと思うのも無理のない話である。

 

 中高生に「興味のあることを自由に学んでください」と言われてもなかなか難しいのが現実だ。それは定期テスト・模試・受験に縛られているからである。中学受験をすると決めてから、受験科目の国語、算数、理科、社会の4教科を必死に勉強していた。当時サッカーをやっていたため、サッカーの本を読み漁ったりもっとサッカーを上手くするためにはどうすればいいのかということを学びたかったが、受験のために今すべきことは何かと考えれば勉強の一択でしかなかった。自分の場合、自分で受験を決めたためそこまで苦ではなかった。高校生の時、全くと言っていいほどに勉強をしていなかったが、部活に集中したくても定期テストはやってくるためそのために少しは勉強していた。学びたいことが他にあるのに、定期的にやってくるテストのために時間を割くのが嫌で嫌で仕方がなかった。今、大学生になって分かるのだが自分が学びたい学問のことだけを考えていればいいため、本当に気持ちに余裕ができて「これが本来の勉強のおもしろさなのだろう」と思えている。中学校・高校の時だって、おもしろい学問に出会えていたのかもしれない。でも、テストや模試のためにやっている勉強で志望校に合格するためや成績を上げるための「手段」にしかなっていないため、しんどいし義務に感じて苦しくなるのだろうと思う。今は、教育学部に進学し教育学のことだけを考えていればいいし何かの手段ではなく、目的として向き合えていると感じているためとても楽しい。

 

 勉強というのは、実はおもしろいものなのだろうと思う。「これをしなさい」「あれをやってみましょう」と学ぶものを決められてしまっていることが苦しくなる原因なのだろう。これは完全に想像の話になるが、自分の永遠の苦手科目だった国語をテストなど関係なく学んでいけていたら、国語のおもしろさに気づけていたかもしれない。どうしても、点数化されてしまいたくさんの✕がついた回答用紙を見ると、おもしろくないと思ってしまっていた。「作者の主張なんて会ったことある人の主張でも難しいのに、会ったことのない作者の主張が分かるわけない」と屁理屈をこいていた時もあった。でも、点数のことなんて気にせずに、「どんな思いでこの小説をこの作者は書いたのだろう」と想像することは確かに楽しいし自分の考えが深まる気がする。学びたいこと、それが学問で、おもしろいと感じられるものだと思う。勉強っておもしろいものなのだ。