その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

誰かのために一生懸命になれる人

 自己中心的な人というのは精神年齢が低い人に多い。「自身がいい思いができればいい」「自身が得をすればそれでいい」と思っていても自身に幸せは舞い込んでこない。そう思う。もちろん自身のために他人に優しくしたり、支えになったりするわけではない。本当にその人のことを思って働きかけるのである。そういった言動が習慣づくと、気づけば自身も幸せになっていると自分は思う。でも、他人のために何かをするというのは容易なことでは決してない。

 

 術後22日後の昨日、診察とリハビリがあった。順調に足首の可動域とふくらはぎの筋肉がほぐれつつあると言っていただき、一安心した。診察の後、リハビリがあったのだがいつも同じ担当の理学療法士の方がついていてくださっていて、その方が「何としてでも来週までにより可動域を戻して荷重できるようにしような」と声をかけてくださった。リハビリは家でやっていると孤独で辛い。当たり前のことだが、家族にはこれ以上ない迷惑をかけて気も遣ってもらっていてもリハビリのことは自分にしか分からないし、やらなければいけないのは自分であるため楽しい時間と呼べるものではない。それでも、自分と同じように目標に向かって共に歩いてくれる人がいることは本当に心強く、頼もしいと感じたのだ。これまでも術後リハビリは何度も通っているが、昨日は特に本気で自分の体を元に戻そうとしてくれている気持ちが伝わり嬉しかったのだ。

 

 誰かのために一生懸命になれるってとても素敵なことだと自分は思う。自分が怪我をして病院へ行く機会があるため、より一層思うようになった。医師、看護師、理学療法士の方…本当に様々な方の仕事をしている姿を見ているが、やはりああいった仕事をしている方は「患者様のことを第一に思える」ことが最も大事なのだろうと思う。そうでないと務まらない仕事なのだろうと改めて思った。自身のことを優先していいのなんて産まれてから本当に何年かなのだろう。幼稚園、小学校へ行く年齢になるにつれて集団で生活していくことになるため、他人のことを考えるということをしていかなければいけない。そして、誰かのためを思って行動しなければいけないと自分は思うのである。でも、それができないからといって何とも思わない。冒頭でも触れたように、決して簡単にできることではないからである。誰かのためにしたことがその人に喜んでもらえたなら、それでいいと自分は思うタイプである。自分も嬉しくなる。感謝されるためにやっているわけではない。もちろん自分のリハビリ担当の方もそうだと思う。完全に自分のことを考えてやってくださっている。でも、自分はとても感謝している。自分も誰かの役に立てる人間になりたいと強く思った。