その辺にいる社会人3年生(24)

社会人2年目のブログです。

名前だけが独り歩き

 皆さんこんにちは。今日のテーマは昨日予告していた通り「名前だけが独り歩き」です。お時間許す方は最後までお付き合いください。よろしくお願い致します。

 

 これは仕方のないことかもしれませんが、あまり良いこととは思えません。それは名前だけで判断するということです。名前と一括りにしても人の氏名、学校の名前、会社の名前…とたくさん名前と呼ばれるものはこの世に転がっています。あまり良いことだとは思えないと今は思っている自分も昔は、名前に頼ってすがるような人間でした。

 

 過去におんぶにだっこ状態だった名前が2つあります。まずは自分の名前です。これを聞くと「え?有名人なの?」「インフルエンサーなの?」と思うかもしれせんが、もちろんそういうことではありません。何度か自分の父は中学校教諭で母は元養護教諭であるということをこのブログで明かしていると思います。勘の良い方は気づかれたかもしれませんが、学校の先生が自分の父と母を知っているということだけでぶっちゃけ得をすることが多いのです。これは絶対あってはならないことですが、今思えばあれは「贔屓」だったのではないかという扱いもありました。当時は、生意気にも父と母が先生をしているからといってヘコヘコしてくる先生たちが嫌いでした。自分個人を見て欲しいと思っていました。これが先生という職業には絶対に就きたくないと思っていた1つの要因でもありました。でも、今思うと贔屓をされて絶対に損であることはなかったので、無意識の中で名前だけが独り歩きしていて頼っていたのではないかと反省しています。偉そうなことを当時は思っていたけど、助けられていたことが大半だったのではないかと思います。そして、中学校と高校の学校の名前です。自分が通っていた中学校と高校は私立で中高一貫校ということもあり、地元では学校の名前を言うだけで「すごい」「さすが」と褒められることしかほとんど返ってきません。まだ勘違いをしていた頃の自分は「どうだすごいだろ」と思っていました。でも、それは完全に間違っていました。通っている学校がすごいだけで、自分は何もすごくないからです。当たり前のことですが、当時は気づけていませんでした。

 

 このように自分も何も分かっていなかった時期がありました。名前に置いてけぼりにされていることにも気づかず、いきり立っていたなんて情けないです。自分の実力が認められて初めて喜びを感じるのだと今の自分は思います。今思うと、父や母が先生だからということで自分にまでヘコヘコする小学校の先生になぜかモヤモヤしていたのは、何の根拠もない変な自信がありつつも自分に実力がないことを心のどこかで思っていたのかもしれません。名前なんて関係なく、自分そのものを見てもらって、ありがたく嬉しい評価を受けることが最高だと思っています。読んでいただきありがとうございました。次回のテーマは「リーダーに必要な資質」を予定しております。ではまた次回。